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UK外資投資銀行から外資中央銀行 (Global Fund)のMD、FMとして 出向して日々国を跨いで出張を繰り返しながら 働くアラフォー親父の日々考える事
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Wさんの誕生日を祝うために飯を食う。
NOMAは3月末に予約が取れたので、
今回は、Rが紹介してくれたお店に。

あれ以来、房指輪の件には触れないようにしているようだ。

2連両手の指にはめるように出来ていて
5年前結婚を約束していた年下の経営者の彼女の為に
素材はpt999で、9月の誕生石を含め、
Antwerpenの宝石商の友人にIF~VVS1クラスで
曇りのないDカラーの良いダイヤを特別に
取り寄せてカットもしてもらった。
 
片方はキリスト教に基づいた7つ葉のクローバーの
1枚1枚に込められた7つ意味に
もうひとつの言葉を加えてモチーフに。

もう片方は沖縄の婚礼のときに贈る
慣わしの7つに、もうひとつモチーフを付け足して。
 
Wさんに、もうこれ以上この件に
立ち入れることは親しいあなたでも許さない。
そう釘をさしたからだ。

約束していたVan Cleef & Arpelsのネックレス以外に
私が子供のころから大切にしてきた
祖父に貰った棗と印籠(薬いれ)をあげることにした。

印籠は代々先代から受け継ぐもので、
代々続く十六弁菊花の紋と日月紋、
臣籍降下してからの公家と武家の紋が彫られ、
蒔絵と螺鈿細工を施したものを対で当主が引き継ぐものであり、
公家と武家の紋の方は3代毎に作り変える慣わしがあるから、
私の代で次に受け継ぐ為に新調したので
古い公家と武家の紋のものを彼女に。

先輩に怒られたからではない。
彼女は良くしてくれているし、
大切な数少ない友人であり、理解者だからね。

Wさんの純粋な気持ちを考えると房指輪の件も
理解できるけれど、結婚という決断はいい加減には
決められることではない。

ご家族に気持ちが動いたらと言われたが
そういうことでもないんだ。

彼女もそれを理解している。
他の求婚されている女性達もね。
適切な距離感を保ち、男女仲にはなってはいない。
そんな時間もないし、仕事で関わっている以上
不適切だと昔からそう割り切ってきたからもある。

仕事に私情を挟めば面倒くさいことになる。

まぁ、Wさんの場合すこし立場は違うけれど、
先輩の大学の後輩だし、親御さんも知っているからね。
帰国時に宮にも寺にも連れて行っているし、
彼女のご実家は、元は京都の老舗で
江戸時代に東京に移った経緯があるし、
変に拗れれば面倒なことになるからね。

私の大切にしてきたものを渡すと
少し安堵したのか涙が頬を伝い
それを指で拭いながら”嫌われたかと思いました”と口を開いた。

”私はメンドクサイ男なので、
過去をまだ昇華しきれていないのです。

未練とかそういうのでなく、
正直な気持ちや闘病時からあったことを伝えることが出来なかったから、
相手の幸せを願うことはあれど、詮索したり関わることはありません。
時間も経ちましたし、それが人としての礼儀や道理であり、
男としての潔さというものですから。

仕事や生きるということは前進していますけど。

それに、いい加減な気持ちで恋愛や結婚を
すすめたくないのです。
震災からで5年目に突入しました。
闘病からも5年~あの年は色々ありすぎた。
人によりけり昇華するスピードはまちまちです。

それにまだ復興のため道半ばで何も成し遂げていない。”
と、私が言うと、

わかっています。
そう彼女は笑って別の話題に切り替えて沢山話を聴いた。

恋愛の感情って面白いもので
終わってしまうと、どちらかの感情しか残らない。
相手の悪いところばかり見えてくるか
良い所ばかり、楽しかったことばかり見えてくるもの。

私の場合、後者。
色々合ったけれど、相手が別の人と幸せになっていれば、
大切な人達に囲まれて元気でいてくれればとしか思ったことはない。

相手とは楽しいことは沢山合ったはずだし、
学びも沢山分け与えてくれたはず、
それに気付くか否かは自分次第。

日本に帰国した時、縁切神社として有名な
安井金毘羅宮に行くとオドロオドロシイ絵馬を
見て腰が引けてしまうことがある。
人を恨んでも、略奪愛や不倫の恋で彼女や正妻を
追い落とそうとしても、そんなの自分のエゴにしか過ぎない。

悪い気は悪いものを呼び寄せるだけ。
臭気はより醜いものを呼び寄せる。
それは自分の周りを取り巻く人たちや環境にも及んでくるものなんだ。

学生達やケアハウスの子供達の恋愛の話を聴いていると
可愛いなって思うことが多い。
相手を恨んだりしても、マイナスに思考が向くだけ。
復活を願っても元通りに戻ることはめったにない。

自分が失敗した学びを昇華した時、
新たなステージに進み、相応しい相手に出会うものだし、
まれに、元の相手と結ばれることもある。
そのときは以前の問題をクリアして成長しているから
うまくいくことが多いんだ。

そう、失恋した彼らには言う。

復活愛や恋愛成就のおまじないや星見や日読や
顔相をみることは気休めにしか過ぎない。
時に、強請られることもあるけれどね。


結局、自分が前向きに変わるか否かなんだ。

前向きすぎるのも考え物だけどね。
俺みたいに後ろ向きなのも考え物だけれど、
まぁ、生死をさまようような状態だったし、
色々考えてしまうのさ。

どうしようもないと思っていてもね。

だけど、今を前向きに生きている。
それが今私にできることだから。

近頃、恋愛や結婚が面倒だという若者達が世界中に溢れている。

確かに相手を知ること、自分を知ってもらうことは面倒だ。
SNSの広がりにより、Face to Faceの遣り取りが薄くなってきている。
常時MobileやPDAなどの端末で繋がっている安心感は
あれど、そこに情や人の温かみが溢れているかといえばそうでもない。 
商業ベースでも同じことが言える。
Fllower=人脈や顧客でもない。

SNSはただのツール=道具に過ぎない。

人と関われば正直面倒なことばかりだ。
でも、その面倒さに心や感情や熱い繋がりや学びが溢れている。
ひとはひとりでは生きてはいけない。
孤独を楽しむ時間も多くの書物に触れることも
時には必要だけれど、そこに実践した生きた学びはないんだ。

私も40半ばになってしまったけれど、
結婚もしていない。自分の子供はいない。
ケアハウスの80名弱の震災孤児や遺児の子供達が
私の子供みたいなものだけど、
実際に子育てをされている親御さんみたいな苦労はない。

いくら親身になっても彼らの実際の親にはなれないんだ。
震災で亡くなった家族やご両親が彼らの本当の親だからね。

恋愛は人並み以上にしてきた。
たぶん小説が何篇もかけるくらいの。

かなり痛いものもある。
二股されたり、別れたのに援助し続けたり、
余命を宣告されどうしようもなく終わったものも。
でも、そこには学びが凄く溢れていた。

若い子達にいつも言うことがある。
恐れずに恋愛をしなさい。
相手を知ることで学べることが沢山ある。
相手を知ることで自分自身の持っているもの、
足りないものが理解できる。

恋愛に限らず、日々生活する中で多くの
人たちと関わることとは学ぶということなんだと。

かなり面倒なこともたくさんあるけれど、
多種多様な人種の中で考え方の中で
生きるということはそういうことだ。

HARUHA
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人生の岐路に立つことは生きていれば多々ある。
進学、就職、独立、破産、恋愛、別れ、結婚、離婚、
死別、大病などその人、その時々によってさまざまで、
その受け止め方の度合いも人それぞれ。

良く家柄や育った環境や過去や親や
誰かの責任にして転嫁する人たちがいるけど、
世界には目を覆いたくなるような貧困層や差別階級の人たちがたくさんいる。
そんなでも、前向きに生き、紳士を貫いている男がクライアントに存在する。
最下層の身の上だった彼は起業し、1代で世界的な企業に成長させた。

そんなことを微塵も感じさせない。
彼の人間性や人格や生き方は本物だ。

彼とは何故か馬が合う。
私自身、紆余曲折して今があることを彼は理解しているから、
育ちやCarrierこそ違えど遠慮も無いし、
時に辛辣だが、その言葉には真実と熱い気持ちで溢れ
的をえているから、親友でいられる。

日本での震災復興のために投資や
震災孤児や遺児のケアハウスの運営や給付制の奨学金や
先端医療、特定疾患や遺伝系で難しい疾患の研究や
私が昔から懇意にして寄付や投資を30代からしている
子供病院にも寄付してくれている。

私も彼が行っている慈善事業に毎年寄付をしている。
そこに馴れ合いも、義務感も、してあげてる感もない。
ただ自分の気持ち1つでしていることだ。

私自身の場合、世が世ならと祖母に小さい頃から育てられた。
同族の本家筋に男が2人しかいなかったのもある。

代々続いた家門や血筋、家柄、伝統、格式に
見合う一族の頭領になりなさいって具合にね。

受験に失敗して地方の旧帝大の工学部を経て
スーパーゼネコンに入ったけど、
左遷もされたし、辛苦を嘗めたし、挫折も味わった。
それから、企業に頼らない生き方を世界Levelで事業をすると
退職し、一度院を経て語学力を高め、弁理士補を取得して
外資の銀行に入行してから考え方が一転した。

社名や家門や資産、役職、資格や語学力などは評価基準ではない。
そんなもので人の価値や自分の将来が決まるわけではない。

資格や語学力は世界レベルで使えて当たり前のもので
標準で備えていなければならないものであって
人並みにできるくらいならば役に立たないし、
年棒なり、役職も実績が出なきゃ明日はないというシビアな世界。
Haasを修了したけど、世界Levelで学んだ奴らは普通にゴロゴロいる。
MBAなんて人脈かツールにしか過ぎない。
人脈も自分自身で学ぶ中で作り上げるしかない。

人の真価が問われるのは、裸の自分で戦えるかで決まる。

すべてのモノを身包みはがされて、
無くなってしまって残るものって
そのひとの”生き方”や”生き様”と
”人間的な思慮深さや優しさや賢さ”と
”実体験に基づいた使える教養の深さと応用力”しかない。

金も物も立場もその時流の状況で無くなってしまう。
人脈も浅い付き合いをしていれば離れてしまう。

もしかして、大切だと思っていた伴侶さえも。

そのときの風向きや立場や金や人脈のみで
繋がっているかもしれないからね。

時流や状況で変わるものは、
株や為替のように乱高下して不確かなものなんだ。
そんな薄っぺらいモノや関係ならば捨ててしまったほうがいい。
煩わしさや見栄だけの虚栄に本物は生まれないからさ。

家柄や家名や先祖は変えることは出来ないけれど、
自分自身の生き方や人生はそれに縛られるものでないし、
名は体をあらわさないものなんだ。

将来や未来は自分で作り上げるものだから。
金や立場が有ろうが、無かろうが変わらないものだ。

知識なんてものは検索したり、調べたり、
本を読めば増え続けるけれど、
生きた経験や教養や品格は身につかない。
だからNET内は同じような記事や検索内容の羅列で
溢れかえっていて、面白くも無い。

TwitterやInstagramやFace Bookのloopな遣り取りと
浅い繋がりや時流やfollowerに右往左往されるのも疲れるしね。
だから極力やらないし、必要以上に広げない。
公開もしない、個人情報の塊だしね。
それに無駄な気遣いや人間関係などいらないからだ。

生きた経験や教養、品格や人脈や友人は
自分自身が日々生きている中で、
自分の足稼ぎ、頭で考え、加工して、
自分の言葉で誰にでも説明できて、
実践し何度も地道な努力と稽古、
修羅場を乗り越えて顔を突き合わせながら
初めて身につくもの。

そんな簡単な事を人は忘れる。
だから、浅い人間関係や繋がりや多くの事象や分岐点で
躓いて判断が出来なくなるし、
誰かの責任や事柄や時代や世の中に転嫁してしまう。

他人のせいや何かの責任にして悪口や陰口を叩いて、
憂さ晴らしできるのはそのときだけ、
何も生産性は無い。

そんな生き方は格好悪い。
マイナス(-)×マイナス(-)は数式のようにプラス(+)にならない。
ただ、どんよりとした負の連鎖を生むだけ。

今の自分を認め、何が出来るか、足らないか
模索し、行動に移し続けていれば道は自ずと開けるものだから。

今日より明日ちょっとだけ進歩している自分を
褒めてやればいい。
それを継続していけば、人間的な賢さや懐の深さや
思慮深さ、気付きや、人間的な厚みも自然に増してきて
それは自然と容姿や言動に出るし、人もそれに見合った
環境もついてくるものだ。

言い訳けなんかいらない。
ようはやるか、やらないか、その覚悟だけだ。

自分が生きるんだから、何かや誰かの責任にするのは
止めたほうがいい、それは自分の生き方や生を冒涜しているし、
自分自身の人生を生きていないことと同じだから。

そんな奴らは相手にしないほうがいいし、
自分の周りにそんな人達が溢れていると思ったら、
人間関係や環境、そして自分自身の生き方を見直したほうがいい。
自分自身が嫌な負のroutineに入っているならば
自分が変わるしかない。
プラス(+)×プラス(+)の相乗効果に。
マイナス(−)要因が出ても必要最小限に食い止めれる
メンタルと確固とした自分自身の生き方を作りあげれるように。

HARUHA

Sに会うのは久しぶりで
夜中まで飲めない酒を少しずつ飲みながら話した。
今はGoldman Sachsに籍をおいてNYにいる。

彼女とは上司と部下の関係から親友以上恋人未満で、
私が先輩の部下だったころから顔見知りだ。
インド人で賢く、人間味に溢れていて
容姿は彫りが深く、目鼻立ちもくっきりしていて
学生時代はミスコンに無理やりだされてたらしく、
社内でもその容姿と仕事振りは目立ち結構人気があった。

帰国して京都にいると聴いて観光がてら会いにきた。
目的は他にあることは知っていたので、
NY行きと彼女が引き抜かれるEq-Fundへの誘いの話は最初に断った。

彼女の思慮深さや賢さは昔と変わらない。
私が意識不明でICUに入っていたときから
NYから週1度Bostonまで見舞いに来てくれていたし、
UKに国をかえて投資銀行で働いてからも会いきたり、
震災孤児や遺児のための給付奨学金の寄付と
ケアハウスの運営をずっと助けてくれている。

他の事業にも個人的に投資してくれているんだ。

まぁ、私も彼女のMumbaiの実家周辺で地震が起こったとき
義捐金を送ったり、中国の環境状態にならないように
Sが懇意にしている新興企業が行っている
大気や水質浄化、ごみ処理事業などの環境対策事業や
水素、蓄電クリーンエネルギー事業や都市整備事業に
アドバイスしたり投資している。

そんな感じで部下でなくなっても
金融以外の事業に対しての意見交換や近況や
これからの世界のあり方についてやり取りは続いているんだ。

本家の寺や神社には初めてきたから
氏子の着物屋の婆ちゃんに頼んで着付けてもらい、
RとKと一緒に同族の神職に案内させて
神饌で作った精進の賄いを振舞ったり、
私がお茶を立てて飲んでもらったり、
今宮神社のあぶり餅やいつも京都に帰ると
買い物している八百一や西陣の帯屋さんや
飾り小物のお店、人力車に乗せたり、
馴染みのお茶屋のお座敷に
懇意の店から仕出しを頼んで
舞と食事体験させてみた。

Rも京都でそんな体験をするのは始めてらしく
カメラで写しまくって自分のInstagramにUPしていた。
もちろん、ツルッパゲの私の和装姿や狩衣姿や装束姿もね。

Sが私の剃髪した姿を不思議そうに眺めながら
時折、触って、
”妙に似合っているし、さわり心地が良い”と
街を歩きながらじゃれついても怒らない姿を見て
Kも”Bossが距離感問わず自分の懐に人をいれるの
子供以外、はじめてみました”と笑っていた。

そう、Sには不思議と部下の時から
ハグや馴れ馴れしいスキンシップされても
30cm以内に入られても
いやな感じはしない安心感はあるんだよ。

こいつにもプロポーズされている。
2度断っている。Fundを辞めて日本に帰国したとき。
そして、意識不明から目覚めてBossのFundに戻ると決めたとき。

返事はその時から気長に待つと言われている。

たぶんSならずっと待っているんだろう。
断ってもね。

”Kが本当に綺麗な人ですよね。
インドの方って不思議な雰囲気ですよね?”というから、
Kも似たようなものさと返すと、
Bossが私の容姿を褒めるって珍しいですね?
とまんざらでもないようだった。

続けるように、”それに角がないので一緒にいて居心地がいい”と
Kが女性に対して素直に褒めるのは久しぶりだったから
容姿端麗で人間的にも人格的にも優秀な秘書である
彼女からもそう見えるらしい。

京都駅まで送って別れたときに
”元気でいてくれたら、それだけで私は幸せだけど、
また、遊びに行くから案内してね?”と
別れのキスとハグをしながら言われたので、

”忙しいけれど、いつでも来るといい、いつもありがとう。
すこし、考えるわ”と返すと

”いい返事しか受け取らないから、それまで言い続けるから
Osloには遠慮なしに行かせてもらう。
それから、あなたは聖職者であり、心のある事業家であればいい。
自信を持ちなさい!”と12も年下の癖に遠慮なく
いつもどおり返して別れた。

前向き、いいことだ。
それに彼女は懐が深く人間的にも心が大きい。
純粋に人の為に、人の幸せを祈る。
それは私も変わらない。

金融の世界に居るけれど、
代々続く家門や神職であり僧であることは変えられない。
本家に戻ると気づかされるし、
師匠の死や教えをどう未来に繋げるか
少し考えさせられた。

”わたしはいつだってあなたの味方だから”
そう会うたびに笑いながら真剣な目をして彼女は言う。
だから、掛け値なしに投資も出来るし、
腹を割って話も出来る。

そういう仲間が海外に居て増えた。
男も女も国や民族関係なく。


HARUHA

Macrobioteicの飯をクラアントとその家族と久しぶりに
食べたが料理人によりけりだけど、あまり旨いものではない。
有機食材、無添加ばかりが体に適しているとは限らない。
人によってアレルギーの抗体もあるし、
耐性を考えたらどっちが正しいのかわからないが、
重宝がられているけれど、生産する側は大変な手間が掛かる。

そんな話を専業で農業に従事していた時の体験を
交えて話すとすっかり夜が更けてしまうことも多いけれど、
そのお陰で日本の農海産物を直で仕入れてくれる
ルートの開拓にも繋がることも多いんだ。

土と共に生きることは、地道な作業の積み重ねで、
雨が降ろうが、雪に埋もれようが閑散期も仕事は溢れている。
その積み重ねで掌はごつごつになり、節くれだってタコも出来る。
泥にまみれ、土にまみれ、堆肥にまみれで休みなんてない。

有機で堆肥を作る為に、蓄農家さんとも有機で作った
大豆や小麦やとうもろこしなどの飼料長年に渡って
取引して初めて良い糞を貰うことが出来る。

勿論、窒素、燐酸、カリを含めた肥料も
手づくりする。漁師さんに貰った小魚を
天日で干し、製材所で貰った間引いた灌木剤と
竹ををチップにしてもらい有機米の稲藁と秋に
刈り入れたススキを細かく切って、一緒に燃し、
貝灰を蜆と紫貝の殻を焼いて灰にして作り、
籾殻と糞を混ぜて、農閑期ハウスで2ヶ月間毎日混ぜて
発酵させて堆肥を作ったものだ。

地域と関わりコミュニティの中で多くの人たちに
助けられて長い時間を掛けて初めて有機、無添加が成り立つ。

その癖、流通経路で規格外のものは撥ねられる。
そしてマージンも。
生産者はうまく販売経路を確保し、マーケティングを
コントロールしないと利益を永続的に生み出せない。

TPPは真面目に生産している農家にとってチャンスなんだ。
だけど、国は枝葉の先まで見ないし、
また票欲しさの為の税金の垂れ流しや制度を作り、
それが農業や農家の自立を阻害してきたのも事実。

小規模農業や兼業、趣味的なものに税金を垂れ流すのは
今後の若い世代に繋げる農業や安心な作物を作ることに
対して取り巻く環境にとっては悪なんだ。

南相馬に居た頃、
毎年出て行く区画に割り当てられた土地整備事業費、
塩害対策土地改良事業費、機械の整備費とローン、
燃料費、農協への支払い、気候や災害による損害費、
大量に収穫でき過ぎた時の欠損金等、
長年に積もり積もった定期的に支払う借金が億単位、
その他に計上される損失。

初め帳簿を見せられたとき、ザルで笑うしかなかった。。
関わる中で、農業で生きるということと真面目に向き合うと
日々、土と向き合う中で、地域社会と関わる中で
収益を出す差別化に有機を拡大することと
休耕地や田を借りて大規模農業への転換と
独自の販売経路の開拓と営業とNet販売をすることにした。

Fund時稼いで5年間動かせないオプション以外の
債券と貯金で長年定期的に払う数億単位の負債を肩代わりした。
金融屋の経験を活かして出来ることは財政を黒字化すること。
そして計画的な事業の運営と魅力ある利益の出る農業に
変換すること。

2年で赤字を払拭し800万の利益を確保できるようになったが
不安定さは否めなかったし、借金が増える可能性はまだ続く。
天候に左右されるし、第一次産業のどれかが傾いても
有機や無添加につながる農業や生産物加工品などできないからだ。

その不透明さの中で、金が無くとも良い作物を消費者に
届けて喜んでもらうことに誇りを持っていた。

まぁ、研修生の手続きをしていたがそれは家に入れ、
給与も貰わなかったし、お小遣いも無かった。
立て替えた借金も返してもらわなかった。

家庭内事業の元に家長が財布を握る
それでも良かったと思っていた。

それで少しでも家が回るならと考えてもいたし、
やがて大きく稼ぐようになればと思っていたからだ。

働くということはそれに見合った対価を貰うということ。
作品や物の値段はコストと利益のバランスで付けられ
消費されて当たり前の世の中。

それが農業の現場には浸透していない。
それでは農業を今後支えてくれる若者が離れてしまう。
これが大きな農業離れの現状を招いているんだ。

葱が一把店頭で150円で並ぶとする。
市場取引価格は1箱12把入って不作のときで1,200円、
通常は700円から酷いときは200円。
どんなに良いものを作っても青果市場や農協出荷時に
入るのはその積み重ね。

労働力を合わせたコストに見合わない価格体系。
何度も嫌になったものだ。
葱畑で市場に出した卸値を次の朝引き取りに行くたびに
常磐線の東京行きのひたち(スーパーひたち)を見るたびに悲しくなった。
鎌を悔しくて堀り投げて叫んだこともある。

Fundや銀行のように稼げない、
洗っても爪の中は泥が、手はごつごつして
指は節くれ立って、いつもイセキの青いツナギを身にまとい
堆肥を作る為に糞まみれになり、油が染み込んで
有機以外の畑や田んぼに重い機械を背負い農薬を噴霧したり、
肥料をまいたり、水の管理や除草をしたり、
毎日4時から18時まで農作業は続く。
休みは無い、娯楽も無い。

ただ仕事終わりの熱い缶コーヒーを飲んだ時が
タバコも酒も遣らなかった私の楽しみ。

それが終わると、畑と相談して夜ご飯に使う野菜の収穫。
精米したての米をガス釜で炊く、煮え花が立ち炊きたてと
漁師の友達に貰った柵を刺身に引いて
婆ちゃんの手作り味噌で作った味噌汁が毎晩の楽しみ。

そして元彼女と交代交替で薪風呂の火の番をしながら
今日の出来事やTVのことを風呂越しに話す。
そして寝るの繰り返し。

そんな事も5年前の震災で全て跡形も無く
元彼女の家族もろとも無くなってしまった。
思い出が残るのは庭にあった大きな原種のゆずの木だけ。
それを枝分けして根継ぎして和歌山の農家さんに育ててもらっている。
ゆずの香水を作れる日がくるまで。

嫌になるほど平凡で、地道で報われない、評価もされないもの。
利益もそんなに出ない、それが農業し始めの頃だった。
その地道さのなかに幸せや遣り甲斐はある。
だから、お金がなくとも幸せはあることも身をもって知っている。

それは中小企業も仕事や桁は違えど変わらないと思う。
ただそれを言い訳にしないでほしい。
やれることを全てやってからにしてほしい。

安易に銀行からの借入金や
株主の配慮やパートナーの厚意に甘んじないで経営すべきだ。

資金を融通してくれだの投資してくれるようメインバンクに
口ぞえしてくれるよう懇意にしているクライアントを
頼ってきた企業の経営者によく言われる。
個人的に投資してくれともね。

泥水すすっても這い蹲ってでも生きてみろよと思う。
甘すぎるんだよ。

体力が無い企業や無能な経営者は会社をやるべきではない。
それは赤字に慣れすぎて事業の本来の意味を忘れてしまうからだ。
そんなひとたちには投資も口利きもしない。
従業員や支える家族がかわいそうだからだ。

岩手や福島、宮城の懇意にしている
農家さんや漁業関係者さんたちや投資している
経営者さんたちにはそう口すっぱく言う。
永続して地域に雇用と利益や将来への夢を還元し続けてこそ意味がある。
復興とは事業をするということはそういうことだと。

生活基盤を作り、若い人たちに繋げるということはそういうことだ。
手抜きをしたり、油断したところで綻びは出てくる。

そんな話をクライアントとその家族と深夜まで話した。
実際に経験してきたことだから面白いらしい。

どんな経験も、今の仕事に生きている。
金が豊富にあるからって幸せではない。
一番の幸せは真摯な日々の生き方に後から結果がついてくることだ。

それが家族か物か金かは別として。

ひとは、人と差別化するために生きるわけではない。
優位性を保っても自己満足の先にはキリが無い。
上には上が居て、流行も消費動向や嗜好も歳を重ねれば変化する。

自分の人生をよりよいものにする為に日々努力もするし、
悔しさをばねにして踏ん張るんだ。
ひとと差別化することばかりに趣旨や主題を措いているうちは
自分の生き様や本当に遣るべきことが見えていない。

だから、世の中から虐めや差別がなくならないんだよ。

そして本当の幸せや人間的な賢さも。
HARUHA

投資銀行から多種多様な業界、
政府関連の機構に出向することは多々ある。
時には身分を隠して内部調査することも。

Fund時代から水面下に潜ることは慣れている。

会社全体や組織の問題点を現場で
洗い出し数値化したり、人的資源や資産、
事業体の金銭的な価値を算出して、
組織や会社の現在の世界標準の正当な市場
での評価額をつけるDue diligenceをして
建て直しをすることもあるし、M&AやTOB、EOBや
優良な事業のみCarve outすることもある。

情報の精査と現実の問題点や数字の刷り合わせと
解決策という着地Pointを過不足無く導き出すことが
仕事でもある。

数字も現場で日々起こる細々とした諸問題も
人が絡んで起こりえる生き物的なもの。
それを全て数式や経験で判断することは難しいんだ。

フロントオフィスの人材の多くは
自然科学系出身者のTOP10以内の
MBAのtitleholderで優秀な人材ばかりだ。
成績が良いのは前提で、入社後配属されるのも一握り。

生え抜きより、他所から替わってくる人材が
ほとんどだけれど、投資銀行部門より
Private Equity部門の方が稼ぎ柱になりつつあるし、
近頃は人件費を抑え、生え抜きを育てようという傾向に
あるから状況は変わってはきているものの、
入ってからが本当の過当競争が始まる。

年棒は魅力的で支払い通貨もある程度の
役席になれば指定でき
Dollar-denominatedが一般的だけれど、
オプションもかなりの額割り当てられる。
現地法人採用はわからないけれど、
若くして30代前半でManaging Directorになると
一年で日本の生涯賃金の3倍はオプション併せて
貰うことは普通にある。

殆どの優秀な人間は他所にヘッドハンティングされたり、
独立したり、辞めて次の人生設計を考える。
正しい判断だと思う。

私自身はFundに引き抜かれて給与は銀行時の数倍に。。

まぁ、派閥争いに巻き込まれ違約金を払ったり、
辞めて農家をした時期に借金を肩代わりしたり、
震災時に貯めておいた債券やオプションを
寄付のため放出したし、
自分で起業するときにも自己資金で殆どまかない
M&Aしたり、統合したり社員の福利厚生や教育制度に
金を掛けたからそんなにお金は残らなかった。

その会社も5年前に追われた時の
違約金で殆んど0に近くなった。
まあ、却ってきた違約金の殆んどはあしなが基金や
震災で亡くなった部下達の見舞金や
こども病院に寄付してしまったから、
稼いでは、ごそっと使うみたいな人生を歩んでいる。
活きたお金の使い方だったから惜しいと思ったことは無い。

唯一、治験医療研究部門がBostonに残せたけれど、
今はFund時代のBossが面倒を見てくれている。

金や債券や資産は無いよりあったほうが良いけれど、
程々が良い。
精神的な豊かさと物質的な豊かさのバランスは
その人の価値観や倫理観、
現状によってかわるものであり、
どれが正しいかなどわからないけど、
下手に持っていると欲望の侭、群がる人達も多いからね。
自分の身は自分で守るしかない。

投資銀行でほんの一握りのクラスである
執行役員扱いのMDになるとオプションを合せて
年にBillion貰うことになる。

現場に出なくとも、居なくとも、
自分の担当部門のパートナーにおさまることも
可能だけど、今の私はそれを望んでいない。


水面下で現場に出たり、
多種多様な会社や機構に出向して
仕事している方が学びが多いし、
名前を世に知らしめようなど考えたこともないから。
面倒なことが多いし、
メディアに露出したくも無いからね。

今の出向先である政府中央銀行の投資部門は
手厚い待遇で迎えてくれているし、
この先、国を替えて骨を埋めないかとも
言ってくれている。
北欧は福利厚生や保障が手厚いし
今後歳を重ねても安心ではあるけれど、
私は投資銀行のまだ席は人間だからね。

それに恩義はあるし、
それを果たすまでは考えあぐねている。

国籍を替え日本人でなくなっても
支障は無いけれど、根っこは日本人だからまだかえない。

銀行を含め大手の外資企業に勤めたい人達がいる。
他企業や内資より給与や待遇が良い事も要因かもしれない。
でも、入ってからがどんな企業でも勝負なんだ。

人より良い生活、暮らし、人との優位性、資産など
そんなものは株価や為替のように乱高下して不安定なもの。
昼から席が無くなる事もあるし、
家のローンを払えなくなった部下たちや
同僚を現実に見てきている。

そこにはDNKSを気取って見栄を張ったり
パーティや業界や異業種交流の付き合いなどが頻繁にあり、
やっかみなどめんどくさいことで溢れていて
傍目に面倒だなとしか思っていなかった。

独り身だし、仕事も忙しかったし、興味の範囲外で
仕事以外で部下たちや業界の人たちと
関わるのを止めていたからね。

そんなもの無駄で疲れるだけだから。
足の引っ張り合いだしね。
それに自然に力無きものは淘汰される厳しい世界なんだ。

留学経験や世界のNGO、NPOで経験したり、
起業したり、語学力や資格を身に付けたり、
TOP10のMBAを修了したとしても
それが世の中で通用するとは限らない。

DNKSを気取って上昇志向過ぎる30代~40代の
日本人や華僑やシリコンバレーの起業家の方達にかなり多くて
そのマナーの悪さと強引さに閉口したり、
もう少し郷に従ってスマートにやれないものかと思うことが多く、
近頃、伝を使ってそんな方達が面会しにくることが増えた。

彼らが紹介状を持ちアポを取って正規ルートでアプローチして
来られる分は追いかえすことはない。

その人たちにいつも言うことがあるんだ。

”本当の精神的かつ物質的なバランスを見つけなさい!”と
全て何も無くなった時にしか見えてこないものがある。

何も無くなったときにもついてくれる人の繋がりを
構築しないと、全て失った時に自分の価値の無さを知ることになる。

家柄や財産、会社や資格や肩書きが無くなった時が勝負になる。
周りの人たちや自分の本性も露わになるからね。

私が苦労知らずで世の中の底辺の痛みや
苦悩を体現したことがないと言う人たちが中にはいるけれど、
その人たちは、理解していない。

喉の渇きを潤し、腹を満たす為に
泥水や清水をお金が無くて啜ったこともある。
タンポポの茎や山野草や土を食べて空腹を満たしたこともある。

親に反対された農家を辞めて実家に帰るとき
途中で入れたガソリン満タンと財布の中の246円しかなかった。
南相馬から、父が亡くなったとき実家に戻るときだった。
実家に戻りづらくて、一週間実家の近くの山で飲まず食わずで過ごした。
夜中に人の居ない道の駅のトイレでダンボールに包まり朝を待ったな。

障害者用のトイレは便座にヒーターがあって暖を取れたからね。
お湯も出たから手洗い用の石鹸で体や頭を洗ったもんだ。

あの時の真冬のひもじさと寒さは一生忘れない。
惨めでいたたまれなかった。

専業農家の元彼女の家の為にと
貯蓄と債券を投げ出して何も残ってなかった。
家族経営の元に給与もお小遣いも保険も
払ってもらっていなかったもんな。

農業を身を持って体現してきたから、
取り巻く環境や仕組みや改善点が
身をもって理解出来るから
今の仕事にも活きているから
別に気にはしていない。

自分から進んでこのことを語ったことは無い。

5年前、会社を追われて、多額の違約金を払い、
しかも悪性脳腫瘍で倒れ余命を宣告された上、
治療法も無かった時も、金も希望も何かもなかったけれど、
Fund時代のBossや仲間達が支えてくれた。

病気になったことを憎んだことは無いし、
病気を盾にしたこともない。
健常な体で居るのが一番幸せに決まっているし、
そんなことを言い訳に自分の人生を生きたくないからだ。

検査に行くと同じような境遇のひとたちが
傷の舐めあいや病状や経過を自慢げに話す場面に出くわす。
健康が一番でそんなもの自慢でもなんでもない。
だから相手にしないし、そんなことは言わない。

会いに来られる方達はクライアントの御曹司、子息女も多いし、
懇意にしていて交流のある大学の教授からの紹介で
学んで来いと送り出されているからこうだけ言う。

”何も無くなっても残るものそれを見つけなさい!
自分の今持っているものが全て無くなっても何が出来るか、
何をして生き残れるか、そして世の中の為に何が出来るか、
自分が生まれてきて、生きている理や力をを見つけつけなさい!
その答えがみつかり、心が実践できれば何かが自分の中で変わる!”

上昇志向ばかり強くて自分自分で
ほんと迷惑な人達も中にはいるけれど、
何かに気付き、生き方や価値観が変わるきっかけに
なっててくれれば良いと思う。
自分が生きる意味を早く見つけ、実践した方が
その答えにたどり着く距離も短くて良い。

人それぞれ価値観も違うから、
どれが正しいかなんてわからない。
でも、金だけの為に働き、五欲の為だけに流行を消化し、
搾取され続ける生き方をするか、
心を磨き自分の人生をよりよきものにする為に働くかで
その人の価値が変わると思うのだよ。

武士道に出てくるような日本人が本当に少なくなった。
日本人に限らず心ある人たちもね。
HARUHA
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プロフィール
HN:
HARUHA
性別:
男性
職業:
外資投資銀行 MD   外資政府中央銀行系Fund MD
趣味:
自転車 料理
自己紹介:
外資投資銀行から
外資中央銀行FM MDとして出向。
EU、US圏で活動中。

外資投資銀行、
政府系FUNDの寄付講座で、
院の学生を教えながら、
国を跨いでの出張と
仕事の毎日です。

守秘義務が多い職務上
Facebook、Instagramは公開しません。
予めご了承ください。
文章の引用、批評論評等
一切お断りします。

専門はM&A全般
Due diligence
企業の建て直し、解体。
人的資源の効率化。
知的財産(特許全般)の
債権化とライセンス契約
および特許訴訟全般。
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