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UK外資投資銀行から外資中央銀行 (Global Fund)のMD、FMとして 出向して日々国を跨いで出張を繰り返しながら 働くアラフォー親父の日々考える事
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さしあたって、BrusselsのWさんと先輩夫妻と
私の部下達も大丈夫のようだ。
イスラム系の移民を先輩の旦那さんが
経営する会社の社員として数十人雇用しているから
以前から当局から人事記録や勤務記録の提出を
求められたり、事情を聴かれているとは聴いている。

こんなことがあったので
当然のことだろうなのだろうが、
移民の方達はイスラム系に限らないし、
雇用を生み出し、生活を保障することが、
悪だという風潮がEU圏に広がっているのも
現地の純粋な国民の雇用が奪われつつある現状に
基づいたものでもあることは
理解しなければならないだろう。

その不満や怒りは、テロによりより増幅しかねない。

部下達が心配なのと急な仕事が入っているのと、
知り合いがテロに巻き込まれたことも重なり、
予定を変更して少し早く
Paris経由でTGVでBrusselsに入るつもりだ。
UKのBossからは部下達に任せておけ、
TV電話で済ませろと言われていたが、
説得して了承を得た。

NorwayのBossにも了承済みだ。
今はNorges Bankに出向しているからね。
柵や絡みもあるし、クライアントの利益の確保が
一番で、その為に迎えられた属している投資銀行からの
客人でもあるし、安全の確保が優先されるため、
普通ならば今回の移動は考えられないと
今回だけだと両者から釘を刺された。


多種多様な宗教上、国の利権絡みの諍いや紛争が
普通に日常生活の中であふれていて
日々刻々と市井の人たちが巻きこまれている。
面倒くさいけれど、事実なんだ。

日本人の友人に電話を貰ったけれど、
平和呆けし過ぎて言い返す言葉がなかった。

人が集まれば衝突も起こるし、
反発して関係が壊れてしまうこともある。
少し、配慮や譲るという気持ちがあればうまく回るんだけれど
人は自分を一番に優先させるからそれを忘れる。

大切な人や家族を思うように、
知らない誰かを思いやれたら少しだけ良い風が吹くのに。
その流れの連鎖で生きやすい世の中が実現できるのに
いつもそんなことを考えるんだ。

人に少し優しくなれれば、許容しあう曖昧さを心の中に
持ち合わせる余裕も時には大切なんだ。
国が違えば考え方も異なる。

国が同じでも生き方や環境が違えば
全てを満足させる答えなど無いし重なり合うこともない。
わかっていても仕方が無いかと許せる懐の深さが。

まあ、人がいる限り、
自分を前面に押し出し譲らないだろうから、
欺瞞や虚栄心が復讐や報復を誘い諍いや紛争が
無くなることなどないだろう。

それは、どの国にいても変わらないから
面倒くさい。
HARUHA

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”付加価値をつけること”

それは、心配りや目配りを含めた
その先の予測+αを
常に包括したもの先んじて
周りや相手に心地よくすごしてもらう
雰囲気や空間を作る。
茶の湯では一座建立ともいう世界。
日常の何気な付き合いから、仕事にも通じること。

観光産業や流行りの商品と同じで
Hard(器)やサービスは直ぐに模倣され、
Methodとして確立され
一時的な流行の喚起や
収益を上げることは可能ではあるが、
やがて市場への参入が乱立し、先細りになる。

その時の状況に照準を絞った
独自の心配りや目配りを含めたその先の予測+αを
ICTやC to Cというツールに乗せられるかが
企業もひとも必要不可欠な要因になる。

本物だけが、商品でも企業でもサービスでも
ひとでも残る。

一番がひとというソフトに如何に
付加価値をつけれるかが勝負となる。

”対価と働き方”

対価+αの働き方をするのは当前であると
新人時代習ったと思う。

働き方も雇用形態も多種多様だし、
一概に全てに当てはまるとも考えてはいない。
対価と等価交換できる働き方で認められるならば
決められた仕事をして、時間がくれば帰ればいい。

後の時間を有効利用して自分自身を高めるのも
余暇に費やすのも人それぞれだからだ。

まぁ、+αで働くということは
自分の能力や仕事の幅を広げるという面では
普通のことである。

だからといって、だらだら働けば良いというものではない。

有給消化とか言われているけれど、
その前に振り休消化さえできてない事が多い。

求められている成果や数字の策定の仕方に
問題があることが多いが、
自分の身は自分で守るしかない。

余力がなければ心遣いも目配りもできないし、
思考が停滞してしまい、効率も落ちる。

休むときはきちんと休み、
前倒しで今後派生すると思える仕事を
予測しながらタスクを組み立てることが
大切だと考える。

余力がなければ人にやさしくもできないし、
部下達や同僚にも目配りも適切な指示も、
クライアントや関連企業の仕事の進捗の把握も
ところどころ抜け落ちてしまうことになりかねないんだ。

家族や大切な人たちとの時間も取れなくなり、
孤立してしまうことにもね。

24時間、365日働かなきゃならない時期も
業界や業種、その人の立場によりあるかもしれない。

ただ、メリハリをつけること。
休暇という当然の権利を行使する勇気も大切だ。
自分がいなくても仕事が回るよう
前もって根回ししておけば良いし、
緊急時以外連絡が入らなくても良いように
先回りした派生した状況まで埋める仕事を
しておけば良いだけだから。

会社も組織も自分がいなくても回るものだ。
健康が一番であるし、
余暇の時間で培った余力が仕事に跳ね返ってくる。
そういうものだ。

HARUHA


難しく専門用語や数式やChatを用いて書いたり、
話せば、簡潔明瞭でスリムになる。
でも、どんなひとにも伝わらない。

簡単に書くほど、伝えようとするほど難しい。
それは学びの環境や専門的な知識の多さや
深さも異なるし、系統立てて理解する力も
応用して状況に適応させる能力も
人それぞれ異なるから。

学生達や部下達にはいつも念頭に置きなさいという。
伝えているからといって、
相手と情報を共有しているつもりになるな!とも。

人は自分とは異なるもの。
すべてを事細かに伝達することは不可能だ。
対話を何度も持ち、UPデートする機会や修正を
常に持たなければと。

細かな差異や齟齬はやがて大きな問題や誤解を招き
隔たりを生み、亀裂や軋轢を生み、
やがて修正不可能な状況や危機に陥るもの。

それは仕事でもPrivateでも変わらない。

簡単に伝えていても伝わらない事が
多いのは、自分と他人が異なる生き物だという
前提を忘れ、伝えたい肝心な要所を
相手の判断に委ねてしまうからだろう。

それは、全幅の信頼をしている部下や
伴侶や仲間だという安心感という油断が
時として生み出してしまう。

故に要所の齟齬や認識のズレは事細かに
Communicationを取るべきだろう。


HARUHA


”みんな”という安心感は連帯感を生むが正解ではない。
時代と今現在の状況により風見鶏のように変化する。
その中でNeedsを掴み顧客と利益を囲い込む。

そして、扇動という中の一体感は高揚感を生むが、
流動的かつ、一過性のお祭り騒ぎで後に続かないことが多く、
その判断が間違っていると後で気づくと、
その他大勢の中で、責任を誰かに転嫁するか、
見て見ぬ振りをするだけ。

手法はSNSやI O Tに変化しても然程変わらない。

ミシュランの星や店やAmazonの商品の口コミと同じように
食べてみなければ、使ってみなければ、
味を含めて個々に置かれている状況も嗜好も異なるのに、
個々の判断や基準がその他大勢の評価に流されるから
意味がない。

正当な評価基準は自分自身で点けるしかない。

それに他人の評価で右往左往する必要性もない。

人を好きか嫌いかも、音楽や絵や服の趣味も
結局、その他大勢に気を使って決まるもの。

まぁ、服や化粧に関しては肌の色や顔のつくり、
体型によって好きを突き通すのも考え物だ。
似合わないものは似合わないし、
太い眉が流行っても細い眉が似合うかもしれない。

雑誌やInstagramで取り上げられているから
その流れに飛びついて乗っかったとしても、
本質が伴っていなければ直ぐに流行も廃れるし、
時代や企業に搾取されるだけの消費する側の存在に過ぎない。

人の好き嫌いも一過性のもので、
本質は自分が嫌われているから、相手を気に入らないから
虐めや攻撃をするだけで、そこに何も生産性はない。
生きてきた(る)環境も考え方も感じ方も異なるのに
すべてを納得させる答えや妥協点など見つからない。

ゆえに時に陰湿な方向性にエスカレートする。
そしてその連帯感が他人を死に至らしめることもあるし、
人の人生や企業を潰すこともある。

すべての人を好きにならなくてもいいと思んだ。
生理的に合わない顔や仕草や癖や匂いや性格もあるしね。

ただ、折り合いをどこでつけるかがポイントになる。
すべてを譲る必要性もないし、他人に判断を委ねる必要性もない。
人としての判断を正常にできるか否かだけだ。

人は流される。だけど、他人の判断基準や言動で
いちいち自分自身がぶれていたら、
意思のない操り人形であり、傀儡と同じで自分の意思はない。

そうなりたくなければ、時流を読み解き、
バランスや折り合いを何処かで取り、
取捨選択し、判断し続けるしかない。

自分の評価基準を他人に委ねないことも大切。

他人に委ねれば、大勢という安心感と
責任の放棄という誰かに丸投げ放置プレーで
有事の時は責任逃れにはなるけれど、
自分の意思も考えも判断基準を失うことになるんだ。

個性とか権利とか求めてやまないけれど、
本当に人として譲れない根っこや
人としての配慮や思慮深さや義理人情も含めて
大切なものを持ち続けている人間が本当に老若男女少なくなった。
HARUHA

お勉強が出来ても成功するとは限らない。

良い学校に入ればブランド力に守られ、
母集団がある一定のレベルに保たれ、
生活レベルや親の収入状態が安定して似通った
価値観の中で切磋琢磨できるから良いだけ。

自分が怠ける性格で周りや環境に
染まってしまうと感じたら
厳しい受験戦争を勝ち抜けば良い。

仮に入ったとしてもそこで怠ければ、
どんなに資質や能力、
IQが備わっていても意味は無くなる。

勉強とは一見必要だとは思えないけれど
生きていくために多くの引き出しとヒントを身につけ
導き出すための応用力を磨くということだ。
それが出来て初めて人とは違うアイデアや
オリジナリティが発揮出来る。

以前も書いたが、東大は官僚になるには良い学校。
早慶は人数が多いし、附属からのエスカレーター組と
推薦組が大半を占める。
誘惑も多いし、埋もれる可能性もでてくるし、
入ってからが勝負になる。

旧帝大を含めた国公立は定員が少ないし
そこでどう学ぶかで
東大や早慶と遜色なく仕事は出来る。
理系ならば、就職も真面目に勉強すれば有利に働く。

ようは、入りたい企業やなりたい職業や
仕事をしたいときに門戸が広いか狭いかと
同じ夢を共有して切磋琢磨できる
仲間が多いか少ないか、
就活時移動がしやすいかだけが、
地方と首都圏の大学との違いである。

私立は定員も多いし、受験科目の数も違うのに、
早慶や上智や立教やICUと
国公立とを安易に比較は出来ない。

採用側の人事的にも国公立大の優位性は変わらない。
まぁ、一部マスメディアでは早慶優位はあるけれど、
定員比で考えれば、大学でどれだけ努力したかや、
コネクション優位は変わらない。

後の企業は何処に行っても
自分自身が何を学び取るかで違う。

偏差値で人生も人の評価も決まらない。
ただ入る時にお勉強が出来ただけだから。

仮に希望の職業や会社に就けたとしても
そこがスタートライン。
それで人間的な賢さや思慮深さや
優しさや品性が決まるわけでも
出世するとも、成功するとも限らない。

司法試験を突破しようが語学力が優れていようが
それも仕事とは直結しない。
世界のTOP10のMBAを修了したとしても
最初は優遇されているように見えるが
そこからが大変なんだ。

自分が持っているツールとスキルを
会社という組織や人材を使って
何が出来るか、何をするべきかを
導き出せることが大切で、
いつも絶え間なく考え続け、模索、熟考、修正し、
それを形として実現できるやつらだけが生き残っていく。

そこにはコミュニケーション能力も必要だし、
浅く広く掘り下げた日々UP-Dateされた
多くの引き出しがあるか無いか、
そしてそれを応用して組み換え自分自身の
オリジナルに創造できる能力が必要になる。

勉強をするということはそういうことだ。
理数系科目が嫌い、歴史や国語や英語が
嫌いで逃げていては
問題外。勿論、音楽や美術も全て。

多種多様な人種、国の人達とボーダレスで
関わらなければいけない。
それに趣味や嗜好も人それぞれ異なる。
仕事では関わる人は選べない。
その中で日々戦うにはバランスよい教養と知識が必要になる。
そしてビジネスでも日常でも使える語学力も。

偏差値社会で切磋琢磨してきた人間は強いけれど、
それで人間的な賢さや魅力が備わっているとは限らない。
それは世界レベルでも同じなんだ。

Deutsche Bank-KKR(Kohlberg Kravis Roberts)時代から
BridgeWater〜今の属している投資銀行でも、
HBS(Harvard)やGBS(Stanford)やSolon(MIT)や
LBS(London)や私と同じHaas( University of California,Berkeley)
出身のMBAフォルダーもごろごろいて、優秀だけれど、
すべての人材が使える人間ではないし、
人格や品性が伴ってもいない。

それは学歴やキャリアではなく、その人がどう生きてきたか、
生きているかに伴ってくるものだからだ。


金融にいれば他業界他業種のクライアントに関わる。
それは金融以外にもいえることだ。
クライアントの事業内容全てに目を通し、業界の新技術や
流行、動向なども日々専門誌を読んで勉強する。
理解できなければ専門家や大学にも教えを請いに行く。
どこに問題解決の糸口が隠れているかわからないからだ。

それが同業他社との差別化する為の事業計画のための
コンサルにもなるし、M&A時の補完すべき事業の優劣や
新たな技術特許戦略の指針を決める要因にも繋がる。

人と関わらなければ仕事も生きていくことも出来ない。
だから、足りない知識や経験を日々補うために、
そして日々人の言動を観察し、何を今その瞬間に求めているか
気づきの精度を上げるために勉強し続けるんだ。

人としての配慮が出来なきゃお勉強ができても
人としてバランスに欠けていると判断されるからね。

ケアハウスの子供達にいつも話すことがある。
震災復興のために立身出世をして成功するんだと言うと、
そこに心を忘れてはいけないと必ずいう。

成功しても、他人の心の痛みや欲していることを
汲み取れない人間にはならないように。

初心を忘れず、日々勉強し続けるように。

そして人を見下さないように。
自分が一番賢いわけではないし、
物事を達観して経験をつんでいるわけでもない。
世界には上には上がいて、下もきりが無い。
そこで多くの人達に支えられ生きていることは忘れないように。

そう口すっぱく言う。

彼らが理解しているかはわからない。
でも、バランスの取れていない大人にはなってほしくないからだ。

今年も2人大学生、1人は高校生になる。
1人は東大法に入り官僚になるといっている。
1人はCaltecにその後MITに入り企業を経て事業をすると話している。
1人は仙台第二に入り、東北大の医学部を出て地元の医師になると。
みんな下宿をする予定だ。

Caltecに進学する奴は、Cal時代の友人の家から
通わせる予定で、ホームステイにも何度か行かせているから
授業が始まるまで時間があるから、早めに行かせて
友人の事業を手伝わせるからか、彼は喜んでいる。

官僚になりたい彼は、ゆくゆく政治家になりたいといっているので
自民党の政治家の知り合いに頼んで面倒を見てもらうことになっている。

二高の彼女は東北大の医学部に通っている
うちの給付制奨学生の女の子とシェアハウスして面倒見てもらう予定。
同じ震災遺児として地域に尽くす医師となるという
モチベーションが下がらないようにもなるし、
女同士不安も無いだろうからね。

彼らには彼らなりに何かを学び取りながら
自分の頭で考え、バランスよい人間になってほしい。

バランスに欠ける人間には良い未来を繋げないし、
創造できないと私は考えているからだ。

頭でっかちに成長してほしくない。
人として当たり前の配慮や気遣いをどんな立場になろうと
考えられる人間になってほしい。

競争社会のなかで二極化により拍車がかかり、
資本主義において敗者と勝者がより明確になる。

最後に勝ち残れる人間は、人間的な賢さと生きる術と
誰にでも変わらない人としての思慮深さと
感謝を持ち続けれる人間だと私は考える。

お金がある、地位や名誉があるのが幸せでもない。
今の自分の分を知り、弁え、ほどほどを知ることも大切。

少なくて事足りることを知っている人が一番心が豊かなんだ。

そのためには日々学ぶ姿勢と謙虚さは忘れてはいけない。

HARUHA
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プロフィール
HN:
HARUHA
性別:
男性
職業:
外資投資銀行 MD   外資政府中央銀行系Fund MD
趣味:
自転車 料理
自己紹介:
外資投資銀行から
外資中央銀行FM MDとして出向。
EU、US圏で活動中。

外資投資銀行、
政府系FUNDの寄付講座で、
院の学生を教えながら、
国を跨いでの出張と
仕事の毎日です。

守秘義務が多い職務上
Facebook、Instagramは公開しません。
予めご了承ください。
文章の引用、批評論評等
一切お断りします。

専門はM&A全般
Due diligence
企業の建て直し、解体。
人的資源の効率化。
知的財産(特許全般)の
債権化とライセンス契約
および特許訴訟全般。
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