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UK外資投資銀行から外資中央銀行 (Global Fund)のMD、FMとして 出向して日々国を跨いで出張を繰り返しながら 働くアラフォー親父の日々考える事
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難しく専門用語や数式やChatを用いて書いたり、
話せば、簡潔明瞭でスリムになる。
でも、どんなひとにも伝わらない。

簡単に書くほど、伝えようとするほど難しい。
それは学びの環境や専門的な知識の多さや
深さも異なるし、系統立てて理解する力も
応用して状況に適応させる能力も
人それぞれ異なるから。

学生達や部下達にはいつも念頭に置きなさいという。
伝えているからといって、
相手と情報を共有しているつもりになるな!とも。

人は自分とは異なるもの。
すべてを事細かに伝達することは不可能だ。
対話を何度も持ち、UPデートする機会や修正を
常に持たなければと。

細かな差異や齟齬はやがて大きな問題や誤解を招き
隔たりを生み、亀裂や軋轢を生み、
やがて修正不可能な状況や危機に陥るもの。

それは仕事でもPrivateでも変わらない。

簡単に伝えていても伝わらない事が
多いのは、自分と他人が異なる生き物だという
前提を忘れ、伝えたい肝心な要所を
相手の判断に委ねてしまうからだろう。

それは、全幅の信頼をしている部下や
伴侶や仲間だという安心感という油断が
時として生み出してしまう。

故に要所の齟齬や認識のズレは事細かに
Communicationを取るべきだろう。


HARUHA
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Wさんの誕生日を祝うために飯を食う。
NOMAは3月末に予約が取れたので、
今回は、Rが紹介してくれたお店に。

あれ以来、房指輪の件には触れないようにしているようだ。

2連両手の指にはめるように出来ていて
5年前結婚を約束していた年下の経営者の彼女の為に
素材はpt999で、9月の誕生石を含め、
Antwerpenの宝石商の友人にIF~VVS1クラスで
曇りのないDカラーの良いダイヤを特別に
取り寄せてカットもしてもらった。
 
片方はキリスト教に基づいた7つ葉のクローバーの
1枚1枚に込められた7つ意味に
もうひとつの言葉を加えてモチーフに。

もう片方は沖縄の婚礼のときに贈る
慣わしの7つに、もうひとつモチーフを付け足して。
 
Wさんに、もうこれ以上この件に
立ち入れることは親しいあなたでも許さない。
そう釘をさしたからだ。

約束していたVan Cleef & Arpelsのネックレス以外に
私が子供のころから大切にしてきた
祖父に貰った棗と印籠(薬いれ)をあげることにした。

印籠は代々先代から受け継ぐもので、
代々続く十六弁菊花の紋と日月紋、
臣籍降下してからの公家と武家の紋が彫られ、
蒔絵と螺鈿細工を施したものを対で当主が引き継ぐものであり、
公家と武家の紋の方は3代毎に作り変える慣わしがあるから、
私の代で次に受け継ぐ為に新調したので
古い公家と武家の紋のものを彼女に。

先輩に怒られたからではない。
彼女は良くしてくれているし、
大切な数少ない友人であり、理解者だからね。

Wさんの純粋な気持ちを考えると房指輪の件も
理解できるけれど、結婚という決断はいい加減には
決められることではない。

ご家族に気持ちが動いたらと言われたが
そういうことでもないんだ。

彼女もそれを理解している。
他の求婚されている女性達もね。
適切な距離感を保ち、男女仲にはなってはいない。
そんな時間もないし、仕事で関わっている以上
不適切だと昔からそう割り切ってきたからもある。

仕事に私情を挟めば面倒くさいことになる。

まぁ、Wさんの場合すこし立場は違うけれど、
先輩の大学の後輩だし、親御さんも知っているからね。
帰国時に宮にも寺にも連れて行っているし、
彼女のご実家は、元は京都の老舗で
江戸時代に東京に移った経緯があるし、
変に拗れれば面倒なことになるからね。

私の大切にしてきたものを渡すと
少し安堵したのか涙が頬を伝い
それを指で拭いながら”嫌われたかと思いました”と口を開いた。

”私はメンドクサイ男なので、
過去をまだ昇華しきれていないのです。

未練とかそういうのでなく、
正直な気持ちや闘病時からあったことを伝えることが出来なかったから、
相手の幸せを願うことはあれど、詮索したり関わることはありません。
時間も経ちましたし、それが人としての礼儀や道理であり、
男としての潔さというものですから。

仕事や生きるということは前進していますけど。

それに、いい加減な気持ちで恋愛や結婚を
すすめたくないのです。
震災からで5年目に突入しました。
闘病からも5年~あの年は色々ありすぎた。
人によりけり昇華するスピードはまちまちです。

それにまだ復興のため道半ばで何も成し遂げていない。”
と、私が言うと、

わかっています。
そう彼女は笑って別の話題に切り替えて沢山話を聴いた。

恋愛の感情って面白いもので
終わってしまうと、どちらかの感情しか残らない。
相手の悪いところばかり見えてくるか
良い所ばかり、楽しかったことばかり見えてくるもの。

私の場合、後者。
色々合ったけれど、相手が別の人と幸せになっていれば、
大切な人達に囲まれて元気でいてくれればとしか思ったことはない。

相手とは楽しいことは沢山合ったはずだし、
学びも沢山分け与えてくれたはず、
それに気付くか否かは自分次第。

日本に帰国した時、縁切神社として有名な
安井金毘羅宮に行くとオドロオドロシイ絵馬を
見て腰が引けてしまうことがある。
人を恨んでも、略奪愛や不倫の恋で彼女や正妻を
追い落とそうとしても、そんなの自分のエゴにしか過ぎない。

悪い気は悪いものを呼び寄せるだけ。
臭気はより醜いものを呼び寄せる。
それは自分の周りを取り巻く人たちや環境にも及んでくるものなんだ。

学生達やケアハウスの子供達の恋愛の話を聴いていると
可愛いなって思うことが多い。
相手を恨んだりしても、マイナスに思考が向くだけ。
復活を願っても元通りに戻ることはめったにない。

自分が失敗した学びを昇華した時、
新たなステージに進み、相応しい相手に出会うものだし、
まれに、元の相手と結ばれることもある。
そのときは以前の問題をクリアして成長しているから
うまくいくことが多いんだ。

そう、失恋した彼らには言う。

復活愛や恋愛成就のおまじないや星見や日読や
顔相をみることは気休めにしか過ぎない。
時に、強請られることもあるけれどね。


結局、自分が前向きに変わるか否かなんだ。

前向きすぎるのも考え物だけどね。
俺みたいに後ろ向きなのも考え物だけれど、
まぁ、生死をさまようような状態だったし、
色々考えてしまうのさ。

どうしようもないと思っていてもね。

だけど、今を前向きに生きている。
それが今私にできることだから。

近頃、恋愛や結婚が面倒だという若者達が世界中に溢れている。

確かに相手を知ること、自分を知ってもらうことは面倒だ。
SNSの広がりにより、Face to Faceの遣り取りが薄くなってきている。
常時MobileやPDAなどの端末で繋がっている安心感は
あれど、そこに情や人の温かみが溢れているかといえばそうでもない。 
商業ベースでも同じことが言える。
Fllower=人脈や顧客でもない。

SNSはただのツール=道具に過ぎない。

人と関われば正直面倒なことばかりだ。
でも、その面倒さに心や感情や熱い繋がりや学びが溢れている。
ひとはひとりでは生きてはいけない。
孤独を楽しむ時間も多くの書物に触れることも
時には必要だけれど、そこに実践した生きた学びはないんだ。

私も40半ばになってしまったけれど、
結婚もしていない。自分の子供はいない。
ケアハウスの80名弱の震災孤児や遺児の子供達が
私の子供みたいなものだけど、
実際に子育てをされている親御さんみたいな苦労はない。

いくら親身になっても彼らの実際の親にはなれないんだ。
震災で亡くなった家族やご両親が彼らの本当の親だからね。

恋愛は人並み以上にしてきた。
たぶん小説が何篇もかけるくらいの。

かなり痛いものもある。
二股されたり、別れたのに援助し続けたり、
余命を宣告されどうしようもなく終わったものも。
でも、そこには学びが凄く溢れていた。

若い子達にいつも言うことがある。
恐れずに恋愛をしなさい。
相手を知ることで学べることが沢山ある。
相手を知ることで自分自身の持っているもの、
足りないものが理解できる。

恋愛に限らず、日々生活する中で多くの
人たちと関わることとは学ぶということなんだと。

かなり面倒なこともたくさんあるけれど、
多種多様な人種の中で考え方の中で
生きるということはそういうことだ。

HARUHA


以前も書いたけれど、
自分が全てにおいて完璧でも、
全てを知っているわけでもない。

間違えを犯すこともあるし、
最初から今出来ることが出来たわけでもない。
そう思える自分がいれば、
怒りや苛立つのを多少はコントロール出来る。

目標と現実の差と出来ない自分が
歯痒すぎて自己嫌悪に陥いる事も多々あるし、
他人に対して何故これ位出来ないの?とか、
なぜ配慮や察する事が出来ないの?と
相手を責めすぎる事もある。

仕事でも評価基準にしても
自分は他人になれないし、
また、反対に他人は自分にはなれない。

自分と他人は違う生き物だから、
共有や共感出来ない部分なんて幾つもある。
どんなに仲が良い人でもね。

能力も適正もある。
人間的な思慮深さや賢さもある。
経験値も学びも生きている環境も違う。

価値観や感性の違いも隔たりも出て来て、
平行線をたどることなんてごまんとある。

すべての人に好かれるわけでもないし、
納得させるものやことが出来るわけもない。

世界的な人気のアーティストや
著名なベストセラー作家の作品が
全ての人に受け入れるわけでもない。

耳障りな雑音にもなるし、ただの駄文にもなる。

それは事業をする上でも
人的マーケットの囲い込みにも言える。
100%寡占状態に出来ることはない。

そう考えれば少し気が楽になるし、
まぁ、良いかと割り切れることも多い。

其処で忘れてはいけないのが、
自分が全てにおいて優れているわけでもないし、
世界の中ではチッポケな存在で、
いつも知らない誰かに支えられ
助けられていることを時々思いだすこと。

感謝を忘れないこと。

そして、いつも一所懸命であること。
その直向な背中と努力は嘘をつかない。
間違えたら謝り、修正してやり続ければ良いだけ。

そう謙虚な姿勢で努力して実績を上げていても
否定されることも評価されないことは多々ある。

それは好きか嫌いかという単純な感情で
ひとは動くものだし、第一印象や一度の失敗で
判断し続けられ拭えぬものだから、
仕方がない。

だから、そんなことで判断する人達の
一過性の評価や批評や反論を真に受け止める
必要性はないんだ。

ひとは自分より優位性を持っていたいものだし、
その為に自分より下の人間を作りたがるもの。
そして、絶えず誰かに認められていたいもの。

だから評価を求めるよりも、
自分自身を高めることに目を向けたらいい。
そうすれば、知らないうちに
評価はあとからついてくるものだから。

そう、私は考えている。

他人はいつも自分を棚に上げて、
批判もするし、褒めもしないし、評価もしないものだと
思えば楽に生きることが出来る。

別に他人に認められたくて生きるわけでもないし、
仕事をするわけでもない。
自分を高める手段であり、
その積み重ねの延長線上が生きるということだから。

ただ、そこで忘れてはいけないのが、
相手に歩み寄ることと良いことは褒め
認めるということを忘れないこと。

他人が心が貧しいなって思うことがあっても、
自分までこころを貧しくさせる必要性はない。
心のまま、良心のまま、良い事は良いそれでいい。
HARUHA

まるくいく取って置きの方法。


1.自分の良心に従い判断し、今、その瞬間を日々積み重ねること。

自分の立ち居地ばかり気にして判断や決断を
顔色や旗色を伺って他人や自分のコミュニティに委ねていたら
自分の判断や決断が間違っていて自分自身が
劣勢に追い込まれた時、必ず人は言い訳を重ねるもの。

みんながそう判断したからなんて言い訳など通用しない。

後悔したくなければ、今から生きなおせば良い。

2.素直さと謙虚さを持ち学び続けるという姿勢。

自分がどんな状況にいたとしても
どんな立場にあろうと、自分が世の中で一番優れていて
博学でもないし、人間的に賢くも無いことを心得ている人は
吸収力と貪欲さがあり、その貪欲さに醜さが無い。
ただただ、自分を高めたいだけ。

その能力を世の中のために使うために
という志を忘れない。
そこに私利私欲など無いからだ。

そんな純粋な生き様には人がついてくる。
自分が望んでいた友人や環境が気づけば
そこにあるものだから。

結果は後からついてくるもの。
だから、今を純粋に学ぶことが大切なんだ。

3.ひとの悪口や意見に便乗しないこと。

ひとの悪口を一緒に言っている時は
憂さ晴らしができるかもしれない。
終わったあと自分の醜さを感じ恥じている間はまだ良い。
でもそれを忘れて助長すれば自分の器を下げる。

類は類を呼び、周りには悲観的で
物事を素直に判断できない批評家達ばかりになる。
そんな風には為りたくないと思う。
だから、人の前で悪口は言わないのが一番。

それに自分の居ないところで
誰かに悪く言われるものだし、
普段から悪口を一緒に言っていたら
あることないこと言われてしまい
余計な処にも飛び火することにも繋がりかねない。

人の意見を鵜呑みにしない。
全て自分で実践して調べ、体験し、
人と会って聴き、判断したものではないからだ。
そんなものに価値は無い。

自分が体現して、考えてだした結論でないならば、
それはあくまでも、他人の意見の踏襲。
人の好き嫌いの判断基準だって怪しいものだ。

机上の空論などどうでも良い。
実践し、体験し、現実に自分の頭で考え、
導き出した答えに意味があるんだ。

口だけの評論家になることは
知識の積み重ねで誰でも出来る。

そんな薄っぺらい人間になりたくなかったら
実践し続けることでいつからでもやり直せる。
1~3で自分の直面している問題が大体丸くいくものだ。

HARUHA

いつも同じことを書いている。

人は他人ばかりに厳しい。
さほど学びも経験値も積んでないし、
人格も生き方も伴なっていないのに
批評評論家気取りで物事を書いたり口にする。

感情的のまま羅列された悪意が溢れかえっている。
そんな世の中に疲れたこともある。

子供のころはNetなど無かったし、
その匿名性に守られて
ネチケットもモラルも無い。
そこに現実社会での人間性のかけらや
法の遵守など無い。
 
だから浅すぎて関わるのも面倒くさい。
現実社会でもそんな人間とは連まなくてもいい。
自分にプラスに働かないから。
院の学生たちにいつも言う。

”自分の良心に基づいて行動しなさい。
そして気持ちで返しなさい。
見返りや自分の立場など、考えずに赴くままに。

それがあなた達の人間性や度量をつくるのだから。
君達が振り返って誇れる人生を歩みたかったら
心を磨きなさい。
そして人の手本になる生き方をしなさい。
そうすれば意志に賛同してくれる仲間が自然に増えていき
その連鎖で素晴らしい世の中を創造できるようになる”と。

HARUHA
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プロフィール
HN:
HARUHA
性別:
男性
職業:
外資投資銀行 MD   外資政府中央銀行系Fund MD
趣味:
自転車 料理
自己紹介:
外資投資銀行から
外資中央銀行FM MDとして出向。
EU、US圏で活動中。

外資投資銀行、
政府系FUNDの寄付講座で、
院の学生を教えながら、
国を跨いでの出張と
仕事の毎日です。

守秘義務が多い職務上
Facebook、Instagramは公開しません。
予めご了承ください。
文章の引用、批評論評等
一切お断りします。

専門はM&A全般
Due diligence
企業の建て直し、解体。
人的資源の効率化。
知的財産(特許全般)の
債権化とライセンス契約
および特許訴訟全般。
P R
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