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UK外資投資銀行から外資中央銀行 (Global Fund)のMD、FMとして 出向して日々国を跨いで出張を繰り返しながら 働くアラフォー親父の日々考える事
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後悔しないようひとつひとつ地道に積み重ねることは
格好いいものでは無いし、辛いものはない。
でも地道に勝るものは無い。
生きるとはそういうことだ。

今の自分が恵まれていないと思うならば
それは無いものねだりで、
継続力が足りないからに違いない。
 
ひとりひとり顔や表情が異なるように
人と能力も環境も違うのは当たり前だし
じゃあ、何処で差をつけるかは
自分自身の努力の積み重ねの量にしかない。

勉強ができてもその知識を横すべりさせて
新しい技術や発明やビジネスモデルにつなげ
利益や社会に貢献に結び付けなければ
それはただ物を人より記憶しているだけに過ぎない。

偏差値なんてもので人は図れないし、
いい学校でたって人としての常識や賢さを
持ち合わせているやつなんて少ないでしょ?

基礎という知識と応用力も必要だけれど
実践して修正し続ける継続したバランス力と
人の気持ちを察して譲れるときに譲る
優しさをどんな立場に立っても持ち続けることが
大事なんだ。

成功している人たちは寝ずに仕事し続けているし
日々多種多様に多角的にLINKさせて
アンテナを立てて情報収集と戦略を練り続けている。
私の周りにいる付き合いのある経営者たちは
みんなそうだ。

他人と自分をマイナス軸で比べない。
謙虚さと学ぼうという貪欲さは持ち続けている。
間違ったことを謝れるし、相手が若くても
知らなければ頭を下げて教えを請う潔さも
持ち合わせているんだ。

そういう人になりたいよね?
 
そうそう年末年始は慌しく予定が詰まっているのだけれど
今回は少しゆっくり療養がてらゆっくりしている。

忙しすぎて睡眠時間など2時間あるか否か
移動中に仮眠を取り仕事に明け暮れていたか
負担が掛かったのか調子をここ1ヶ月崩していて
会食や部下との食事会や普段にいたっても
あまり食べれない状況が続いたからか7Kg痩せてしまった。

主治医に数値も芳しくないと言われ
十分な休養をとる意味で思い切って休みを取り
帰国して広島に着ている。
主治医や秘書のKとRも一緒だ。

仕事から完全に切り離す時間もたまには必要だ。
2週間ほど日本に滞在し検査と療養をしながら
東京の依頼された仕事をしたのちParisに戻る。

金融業界を取り巻く環境も大きく様変わりするだろう。
まぁ、不安定なときほど仕事が増えるんだけどね。
流れを読み解き利益を確定させ続ければ良いだけだし、
前も書いたけれど、停滞して底値でより買い叩き
再生して利益を生み出すのが我々の仕事だから
いつもと変わらない仕事を粛々とたんたんとこなせばいい。

世界の経済も様変わりするだろうしね。


遣れることを未来に繋げるために先を読んで遣るだけ。
生きるということは前を向いて歩むことだ。

過去は変えられないけれど、今から変えることはできる。

今を変えれば未来も変わる。

そうやって人は夢を現実にするし、
自分の可能性を広げていくものだから。

死ぬとき後悔しないよう今をに生きる
その積み重ねが未来の自分を作り上げるのだから。

やってやったぞ!と満足して死にたいもん。
恵まれた環境を引き寄せるか否かは自分自身だから。
他人が引っ張ってくれるわけではないからね。

だから日々努力するのさ。
HARUHA
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女子校時代の友人と久しぶりの再会と旅行を楽しんでいた
WさんがUKに帰るために東京に戻ってきたので
秘書のJとKと一緒に彼女の実家で飯をご馳走になった。

その御礼に夏団扇と茶扇子と楽焼の茶碗と
Lucie Rieの器と花瓶を渡した。

楽焼は本家の蔵にあったもので、
私が昔集めたものの1つ。

Lucie Rieは、ある女性が好きで知ったもので、
すこしづつ収集するようになった。
以前からWさんは家に来ると熱心に触って見ながら
Lucie Rieの生い立ちや作品の成り立ちや
良さを熱く語るものだから
教えてくれた女性と被ってみえたのもあるし、
いろいろと私の知人や友人達や学生達も含めて
分け隔てなく愛情を持って気配りや配慮してくれて
助かっているし、その感謝として渡した。

お嬢らしくなく、家の援助を受けず、断って、
高校卒業後、留学して奨学金やローンを組み
院まで進み、US-Frankfurt-Madrid-Hong Kong-UKと
国を跨いで働いていても
まだ少しローンがのこっているらしい。
色々なアルバイトもしたらしいし、
多種多様な人種の中で
揉まれてきたから変な固定概念も無い。
どんな人に対しても分け隔てないことがWさんのよさ。
道で困っている人や子供も見過ごせないし、
それで財布やバックを取られたこともあるくらいだから、
時折、彼女の人のよさに救われている。

夏扇子と京扇子は彼女のご家族の分も。
楽焼の茶碗はお店で使ってもらうように言っておいた。
Lucie Rieの器と花瓶は丁寧に梱包して
空輸してもらうよう手続きをした。

ご家族も恐縮しながらすごく喜んでいたからよしとしよう。
彼女もお嬢さんだけど価値や手に入りにくいものと
理解しているし、私が大事にしてきたものだからと
断ってきたけど貰ってもらった。

もう数客Lucie Rieを持っている。
それは私が過酷な闘病生活から
奇跡的に話せたり、歩けるようになり、
復帰してビジネスの成功報酬の一部として
当時のBOSSにいただいたものが最初に手に入れたもの。
(あとで彼の奥様が私の持っていた作品集を見て
買ってくれたことがわかった。)

あれから気に入ったものが見つかると買うようになった。
良いお値段するものもあるけど、良いものは良い。
自分へのご褒美なんて良い仕立てのスーツや
鞄や靴、あとは食べ歩きか、誰かにプレゼントくらい。

時計も買うけれど、7桁(0が7つ)以上のものは買わない。
日本では新築のマンション買えてしまう額だからね。
まぁ、LondonやParisの市街地近郊だと
8桁(0が8つ)だしても都心部だと狭いものしか
買えないからな。

一番高いものでは自分の物で
今後倒れてもいいために
不労収入を得れるよう不動産くらい。
私が死んでも奨学金を永続的に出してあげたいしね。

後は財団と子供病院や
クライアントの福祉事業に寄付してしまうか、
個人的に昔の伝で迂回して足がつかないように
無担保で融資や投資するかどちらかだもんね。

だから、たまに良い器や家具や工芸品に出会うと
何回も足を運んで迷って算段する。
それが楽しいんだ。

その作家の人生や作品の背景~
色々なお店の店主の思いや何気ない会話などなど。
どんな国に行っても同じ事をしているからか、
仲良くなって良いものを教えてくれたり、
安く譲ってくれるNet-Workもできたし、
懇意にしている内外の作家さんの作品も
置いてくれて積極的に薦めてくれるようになり、
作家さんたちの安定した収入源になりつつある。

ときおり、Lucie Rieの存在を教えてくれた女性を
Lucie Rieの器を見ると思い出すんだ。

色々とあったけれど感謝している。
私が苦しい時を支えてくれていた
唯一無二の存在だったから。

真っ直ぐで、綺麗で、女性としては危なっかしくて
すこし経営者としては未熟で、
でも努力と熱い思いと暖かい心をいつも持っていた。

”わたしも遣るべきことがある。”
”あなたも遣るべきことをやって”
”もう会うことも二度とないだろうけれど楽しかった。”
それが最後のやり取りだった。
当時抗がん剤で浮腫んでぱんぱんだったから、
”整形しないでね”は少し傷ついたが、
彼女の思いや気持ちや私がしたことを考えれば
仕方が無いことだったから気にしないようにしている。

成功率6%も無かった手術を受け、
成功したにも関わらず一時は言葉も話せず、
文字も書けず、左足は麻痺して這うことしかできなかった。
化学療法と特殊な治験薬で昏睡状態に何度もなった。
そんな私が術後の経過観察をしながら
今生きているのは”やるべきことを遣る”と
4年前繋いだ命で残った人生を
世の中のためにささげる覚悟を決めたから。

末期で日本で手のつけられる病院や医師はいなかった。
余命があり治療の施しようが無いのならと
日本での治療も拒んだし、
当時経営していた会社を追われ、
9桁(0が9つ)の違約金を取られて何もなかったし
その後戻ってきた違約金も全て寄付したし、
お金も無い余命がある身で何も残っていなかった。

そんな状況で彼女と一緒になり
多くの苦難を背負わせることは、私には出来なかった。
彼女のご家族にも迷惑を掛けるし、
余計な気苦労や中小企業で資金面も運営面でも
苦しいのに、それで私が死んだら2重苦、
3重苦になるからね。

それに日本の治療で仮に生きられても
術後や治療後のケアが大変で
5体満足でない状況で介護も迷惑を掛ける。
そう、冷静に判断していた。
無駄に保険適用外の医療費は
湯水のように出ていくからね。

親父が白血病で亡くなったから、
その治療の介護でやつれていく母を見ていたし、
亡くなって3年はぽっかり穴が開いたようで大変だった
のを見ていて知っているからね。

そんな重荷を背負わせたくないと思うのは普通だろう。
現実に体験した家族や身内しかその痛みは
理解できないだろう。

彼女の夢は会社を大きくして
自分が生み出した化粧品を老若男女
多くの人に手にとってもらい綺麗になって貰うこと。
他にも夢や理想を電話口で熱く語っていたな。
財務や企画がかなり甘かったけれど、
すごく情熱的で彼女と話していたら楽しかった。

辞めて手伝うと言ったのは財務面と
マーケティングや営業面が弱かったのもあるけれど、
もう死期が迫っているのが自分でも理解できたから、
彼女の近くにいたかったのもある。
でも、そんなことは口が裂けても言えるはずも無かったし、
愛情や奇麗事で乗り切れる状態ではなかったしね。

苦渋の嘘をついた。元気な振りをしつづけた。
いつでも一緒にいたかったし、苦しいところを見せて
寄りかかりたかったそれが共に生きるということも
理解していた。
でも、痛みに七転八倒する姿や
自分が化学療法で醜くなる状況を見せたくなかったし、
彼女には夢を実現して欲しかったし、
笑顔を守りたかったし、幸せになって欲しかったから。
私の押し付けな解釈だったのかもしれないけれど。

Fund時代のBoss夫婦がチャーター機で
わざわざ日本まで迎えに来て、
”お前は意地を通しすぎる、何故頼らない?
生きていればまだ遣れることは沢山ある。
這い蹲ってでも、泥水を飲んでも生きてみろ!”と
あの時面倒見てくれなかったら、
今は土の中だっただろう。
8桁後半(0が8つ)の馬鹿高い治療費を
何も言わずに無償で出してくれたし、
経過観察や見舞い、復帰後や復帰できなくても
面倒見てくれると言って、そばにいてくれたし、
復帰後の大きなM&Aや少し難解なTOBの案件を
宛がってくれて活躍できる場所を用意してくれたから、
いま金融業界で生きていれる。

だから、自分の能力や人脈や志を
後世に繋げることしか考えていない。
ひとを育て、企業育て、地方や国を育て思いを繋ぐだけ。
人それぞれ考え方も生き方も変わるもの。

難しいけど遣らなきゃならないし、遣れることをやるだけ。

その女性にあげようと購入したものは大切に残してある。
もう渡す機会も会う機会もないだろうけれど、
私が生きる意味を忘れないために、自分に驕らないように。
Lucie Rieを見ると思い出すんだ~初心を。
私が10年~100年先を見据えられる人を育てようと
企業を創ろうとしていたあの日のことを。

”成せばなる 成さねば為らぬ何事も 
        為らぬは人の成さぬなりけり”

その思いは誰も知らない。

金があれば何でもできるでしょ?って言う人たちがいる。
99%金で解決できるのが正解だ。
でも人の心や気持ちや思いが入っていない金は
あぶく銭で何も生み出さない。

金を稼ぎ生活を営むということはそういうことだ。
泥臭くて人間くさくて、温かい心のやり取りが其処にある。
それが少なかろうと多かろうとね。
それで良いと思う。
懸命に毎日を生きるってそういうことだ。

それを忘れたら金に振り回されるようになる。
そんな人たちが世界中に溢れている。
私もそう言われたことがあるけど、
その人たちは私の事を理解していない。

金はただの潤滑油であって切り札ではない。
最後は人の志や気持ちのやり取りだから。
何度も0になって、マイナスになって
どん底を見てきたからわかる。
人の温かさと気持ちに救われてきたから理解している。

先に帰るWさんを成田まで見送って別れた。
分刻みの仕事をこなして東北に入り、
すぐにBrussels~am Mainにはいらないと。

EU圏の経済も刻々と変わる。
部下達と合流したらGreeceとItalyの案件で水面下に。
また国を跨いで名や役職を伏せてのLobbyingはいつものこと、
今それが求められるMissionだから。
そのあとはUS~NYとDCでの仕事になるだろう。
わたしが遣れることを遣るだけ。

そう言い聞かしながら今日も前を向く。
苦しくても笑顔を絶やさず、それが周りの力になるなら
わたしは笑顔をたやさない。

綺麗事でも貫く強さと潔さを持ち続けるんだ。
それが私が生きる意味だから。

HARUHA

 
休みが出来たので部下を見舞いにUKに戻る。
日々の対話の波はあるものの安定している。
私の闘病中の手記を渡した。

最初は握力が効かなくてミミズのはったような文字。
術後の後遺症で話せない、歩けない日々から
過酷なリハビリの中日々何を考えて生きてきたか。

もうすぐ東北の震災から4年。
福島も宮城も何も変わっていない。
自分が見繕った環境事業や新エネルギー事業や
研究分野への投資を続けてはいるけれども、
まだまだ技術レベルは解決するまでには至っていない。

これから何をすべきか、
するかを彼女とJを交えて話してみた。

日本に限らず世界で出来ること遣るべきことは
溢れている。
遣るべきことをするだけ。

それを3年前繋いだ命で利益を生み出し
世の中に還元し続ける仕組みを創る。

部下は楽しそうで良かった。
旅先の話や食べ物、出張先での出来事は
いつもやり取りしているから新鮮みたいだった。

彼女が職場に復帰できることも後数ヶ月で可能だろう。
定期的なケアや通院は必要だろうけど、
部署にサポート体制を作るように通達してあるから
ぼちぼち遣れば良い。

その前にケアハウスの子達の卒業式に出るために
日本に帰国することに、パートナー達の厚意で
突然休みを貰ったので彼らは驚くだろう。

間を空けないで2回続けての
帰国は仕事でも無かった。

とんぼ返りに成りそうだけど。
受験も順調に終わっているようだし、
自己採点では医学部の子は合格ラインらしい。
今免許を取るために自動車学校に通い始めた。

彼が一人暮らしをするので寮で良いとは
言っていたが、部下達に不動産と電化製品を
見繕って貰ってあるので一緒に見に行こう。

高校に上がる子達も試しで受けた
開成や東海に受かっているから
よほどでない限り落ちないだろう。

2人の男の子達には約束していたAirMacを。

中学に入学する女の子は地元の公立に進んで
バスケをやるらしいから、バッシュとウェアや
ボール、バックや普段のジャージやスェット類を
おねだりしているので買ってあげよう。

私が出来ることはまだ小さい。
多くの震災遺児や孤児達の面倒を見るのは難しい。
以前も書いたが彼らには帰るべき家や家族がいない。

彼らが家を借りたり就職したり、家を買うにも
保証人はいるし、家族を持ち帰ってこれる場所を
永続的に運営する為に今外で働いている。

地方創生とはいうものの。
学びのレベルの格差や地元の産業のレベルや
インフラレベルを含めた格差は世界でも縮まらない。

その3つを適度にバランスよく根付かせ独自に
世界レベルまで上げてやれば、地方でも人は根付き
発展し続ける材料を持ちえていると思っている。

HARUHA


どこの国に行っても夕暮れになると感慨にふけることがある。
それが移動中の車窓か空の下かは別として。
 
守秘義務や匿名性が高い仕事が多い中、
ほっとする時間、部下達が話をしていても
きちんと聴いて把握してはいるが、
ボーっとしていることが多い。

それは日本に居たころから変わらない。
良く本家の奥社で月を眺めていた頃もそうだった。
静けさに風や草、花の香りに季節を重ねて
ぼーっとしてたものだ。

沖縄の読谷村の工房の窯の作品に惹かれてから
交流を持たせてもらい出資しているんだけれど、
窯に作品を見に来てくださいとMailを頂いている。

沖縄は因縁というか、
前世の記憶の奥底に嫌な思いがあるからか、
踏み入れたのは一度だけ。
(前世の記憶や生まれてきた時の記憶がある。)
懇意にしていたユタの女性が自殺した時、
はじめて沖縄入りし、葬儀にお伺いした。
それが震災2週間前。
 
月桃の花から抽出したOilや化粧品を
作り販売している女性に惹かれて
結婚を約束して毎日電話やMailの遣り取りしたのも3年半前。

月と肌のターンオーバーのサイクルや
新しい商品の企画の話や会社をどういう方向性に持っていくか
話をきいたり、家族の話や子供が出来たらとか、
彼女の実家で飼っている犬の事とか、一緒に住む話とか、
治験の会社を傘下に持っていたから施設を貸そうかとか、
仕事での立場が急速に変化する中、
日頃のくだらない話や真剣に将来の話をしたものだ。
仕事は忙しかったし、派閥争いや病気が進行した頃だったから
私にとって彼女との毎日の遣り取りが力になっていた。
病床で看護師さんに隠れて電話をしたこともある。
 
月は私の花押に含まれているし、
本家の神社が太陽で奥社(神社と寺)は月のいわれを持ち、
本来ならば奥社を継ぐ予定だった身だからね。
月桃に関わる彼女と出会ったのは縁を感じた。

正直沖縄に関わりのある人だったので少し抵抗があったし、
経営者としても女性としても危なっかしくて
見てられない処もあったけれど、
そんなことは関係なく
真っ直ぐで綺麗で心根の優しいひとだった。
ほんとうに心から彼女の事が好きだったし、
守りたいとおもっていた。

すれ違いというか、
私が悪くてその恋愛も終わったんだけどね。
 
違約金を13億弱支払って何も(債券や貯蓄)なかったし、
派閥争いで会社を追われ、会社を取り戻すために
関西で治療を続けながらスポンサー周りをする中で、
顔や体は抗がん剤でむくみにむくみ
見る影も無くてね。
 

会いたくても会えなかったしね。
余命があり、違約金を取られ、
信頼していた昔の部下達に裏切られ、
誰も信用できない私は本家も親族にも頼れなかったし、
銀行から彼女の会社に圧力でも掛かったら、
すぐ倒産してしまうだろうからね。

彼女の夢を潰すわけにはいかなかったし、
その状態で当時彼女を迎えにも会う事も出来なかったからな。
髪の毛も抜けて始めてたし。

彼女を傷つけたことは確かな事だけど、
気持ちは心の底からいとおしく思っていた。
誰よりも大切なひとだった。

そんな話はさて置き、
読谷村にお伺いする段取りをしないと。
UKやFRDの雑貨屋に器を置いてもらう段取りもついたから、
Londonに来てもらう前に、わたしも一度くらいは現場を
見て肌で感じないと、失礼だからさ。
 
色々な日本の工芸作家さんに販売ルートや
将来の展開の道筋をつけるのも私の仕事だと思っている。
会津や鯖江や新潟の燕三条、そして今回読谷村の作家さん。

私の趣味からきているものが多いけれど、
未来を繋げること、安定した販路と売り上げを作ることで
伝統や新しい息吹が繋がれば良いと思っているから、
Marginや担保は頂いてない。

皆びっくりされて、最初は敬遠されるんだけどね。

3年前繋いだ命で、日本に限らず何が自分に出来るかを
考えた時、私に出来ることは今までの人脈を使い
それを未来ある人達に繋ぐこと、
スキルや直感や心から溢れる気持ちや
情熱に素直であること、
周りに感謝出来て気持ちの遣り取りができるかを
実践している。

Commerce without Morality道徳無き商業や
Worship without Sacrifice献身無き遣り取りに
心は通わないからね。
 
だから、今を生きていける。

夕暮れから夜になる頃がすきだけれど、
北極圏が近くなると明るい時期もかなり長い。
その短い時間を楽しむんだ。
(近頃は雪がちらつくことも、積もる季節になったけど。)
 
良くこの時間になると、
部下達にまたBossが話を聴いてないって
たまに怒られるんだけどね。

そうやって気持ちを優しくするんだ。
 
秘書のJに沖縄の作家さんの話をしたら、
Bossにもう話が筒抜けで、
読谷まで付いて行くように
言われて沖縄について調べまくっている。

検査結果も良好だけれど、少し過労が続くと、
体調が優れなくなるからね。
お目付け役と監視役がいることはありがたいことだ。

独りでいるとかなり無茶をするからね。

沖縄には少し抵抗はあるが、楽しみだ。
亡きユタの友人の墓参りにもいかないと。
人生で2回目の沖縄だよ。
HARUHA
プロフィール
HN:
HARUHA
性別:
男性
職業:
外資投資銀行 MD   外資政府中央銀行系Fund MD
趣味:
自転車 料理
自己紹介:
外資投資銀行から
外資中央銀行FM MDとして出向。
EU、US圏で活動中。

外資投資銀行、
政府系FUNDの寄付講座で、
院の学生を教えながら、
国を跨いでの出張と
仕事の毎日です。

守秘義務が多い職務上
Facebook、Instagramは公開しません。
予めご了承ください。
文章の引用、批評論評等
一切お断りします。

専門はM&A全般
Due diligence
企業の建て直し、解体。
人的資源の効率化。
知的財産(特許全般)の
債権化とライセンス契約
および特許訴訟全般。
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