忍者ブログ
UK外資投資銀行から外資中央銀行 (Global Fund)のMD、FMとして 出向して日々国を跨いで出張を繰り返しながら 働くアラフォー親父の日々考える事
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


日が長くなった夕暮れ時の小さな路地。

見上げると見守るように優しく輝く一番星。

大声で”さよなら、またあしたね!”と
何度も振り返りながら手をふりながら見送る女の子。

くだらなくて他愛も無い会話を何時間でもしても
話が尽きない年の頃。

早めに仕事をあがったネクタイを緩めたお父さん。
(俺はネクタイをしてないと落ち着かないタイプだから、
緩める瞬間がOffモードになるんだよね。)
手には連日お酒を飲む言い訳なのか
銀の鈴の紙袋。
そして自分用の晩酌のビールと
家族用に重ねて有無を言わせないように
アイスバーの入ったコンビニの袋。

買い物袋に鞄を持ち、
延長保育のお迎え帰りなのか
男の子の小さな手を前後に揺らしながら、
笑顔で顔を見合わせて歌を歌いながら
歩く仕事帰りのお母さん。

日本はまだまだ働きやすい環境ではないもんね。
制度は作るけれど、形だけで取得すると評価が下がったり
異動させたりと弊害がかなりあるらしい。
お母さんになった友人がぼやいて愚痴を言ってたな。
(認可保育所を運営する会社に投資はしているけれど、
甘いから、自分でやろうかなと少し考えている。)

路地裏から漂うガスで焼いた香ばしい鳥の脂に
甘じょっぱい醤油の焦げたたれが重なった匂いと
すこし焼酎と日本酒の醸造用アルコールの香りが漂ってくる。

焼き立てに純米大吟醸の新政NO6の冷酒をぐびり、
考えただけやられそうだ。
たまに箸休めに千切ったキャベツと冷やしトマトに、
鱧の湯引きを梅でさっぱり、鮎の塩焼きをつつき、
軽く焼きおにぎりに出汁を掛けたのを最後にさらさらと。
う~日本人~。

すれ違うお爺ちゃんが石鹸の匂いを漂わせている。
お風呂セットかぁと先を見ると銭湯のネオンと看板
そして〇〇湯の暖簾。

その軒先の朝顔のつるが絡むさまや、
花弁が畳んだ傘のようにシュルルとして
紫や赤色がほのかにグラデーションをなしてるさまも
この上なく良く、横においてある小学生のときに使った
黄色の図画工作用の小さなバケツに、
〇年〇組〇〇 〇〇〇と名前が擦れているさまも良い。

風に揺れる江戸風鈴の音色も心地よく、
打ち水に少しだけ路地を撫でる風が少し涼しい。
そんな妄想タイムが私の心を癒してくれるんだ。

ときおりその土地の何気な風景や
やり取りの温かみに触れたくなる。
日本に帰ると色々な街で秘書や部下達と離れ
すこし歩いて小さな探検をしてみるようにしている。
迷ってもタクシーで帰ればいいしね。

どの国に行ってもするんだけど。

別に寂しいわけではない。
何気なひとの温かみと小さな幸せの積み重ねが
人の繋がりを生み、絆や笑顔を生み出し、
その連鎖で世の中が成り立っていて、
その笑顔や悲しみを含めた喜怒哀楽の積み重ねを
無碍に否定したり、
断ち切ったりしてはいけないんだと心に刻むためだ。
ひとそれぞれの思いもあるし、
置かれている状況や生きている環境もあるからね。

国を跨いでM&A時の人的資源のDue diligenceや
人事が公正に行なわれているか
正当な評価基準で査定されているか、
ハラスメントは無いか社内不正など
日々水面下での人事や内部監査の仕事にも携わっていると
慣れが自分の気づかないうちに生じる。
企業も社会も最後は人で持つ。

どんなに役職や役責が上がっても
全体を冷静に見渡さなきゃ為らないから
上も下もない。

偉くもないし、ただ今成果を上げているから、
実績に対してそのPositionにいるだけ。
そういつも自戒しているんだけどね。

転々と会社を変わり、国を変え仕事をしていると、
自分達の標準が当たり前に為る。
そんななかで、小さな自分を思い出すんだ。
人って組織や社会に浸かってしまうと
会社や役職や資格が自分の力だと思い込んでしまう。

ひとりでは生きられない。
多くの人たちに支えられながら、
その多くの人たちには幸せにしたい人や家族がいる。
その繋がりの中で私という小さな存在がいるってね。

それを忘れなければ、
私は人として当たり前の
”良識”や”常識”の域を超えないし、
”労わり”や”優しさ”を忘れない。

金融の世界は魑魅魍魎や嫉みや
足の引っ張り合いばかり。
ましてDeutsche Bank~KKR Fund~Bridgewaterあがりで
一時期金融を離れて他業界、他業種を跨いだ私の場合、
異色の経歴だから
気を抜いたところで、掬い上げられる

それを理解しているから何十にも対策は講じているけど。
人の心も物も風見鶏でどう動くかわからないものだし、
所属、経歴、名前を伏せて地下にもぐっての交渉やM&A、
人脈を使った仕事ばかりだったから
私のキャリアを認めたくないPartnerも中にはいるしね。
いまは数の理と今の実績に守られていることも理解している。

効率を重視して人や心を疎かにして手抜きをしてしまえば、
Speedはあがるが、すぐに歪みは起こり、
10年先、50年先は見えない。
そんな血の通わない仕事は遣らないほうがましだ。
そんな事で儲けた金はすぐあぶく銭となって消えるし、
永続的な利益も社会や人の繁栄も生活基盤も生み出さない。
”ひと”あっての仕事だから。

仕事に限らず生きるという意味では基本だからね。

むいてないなって思うこともある。
数字と実績が全てだし。
全ての人を満足できるような査定や仕事も出来ない。
勝者もいれば敗者も出てくる。
自分もいつ挿げ替えられるかわからないからね。

わたしが得意としている仕事は特殊だから
すぐに他の人材を見つけて替えられることはないだろうけど、
わたしもどのくらい後出来るかわからないから
後続を育てている。倒れる可能性もあるしね。

もう二度とは踏み入れないと辞めたことも。
でも、このことを忘れない限り
私はただのちっぽけな自分を持ち続けられる。

そんなことを、なかなか帰ってこない私を迎えにきた
JとKに車の中で話したら、

”BOSSは私達が担当してきた人たちとは異なります。
その人情味が仇に為るのではと思うこともありますが、
だから癖のあるPartner達や他の担当者が匙を投げた
クライアント達があなたを支持するんです。”

”変わらなくて良いです。
私は他のMDの秘書は遣りたくないですから。
BOSSが一番楽ですから。
よそに替わるときは一緒について行きますからね。”

と言いたい放題言われて
感傷にひたっていたのに醒めてしまった。

まぁ、良いか。
帰国前の良い時間を過ごせたから。

自分中心に世の中は回っていないし、
別に自分自身が存在がなくなっても普通に周る。

自分の置かれている環境や状況がスタンダードでも無い。
理解されないことばかりが当たり前。
理解できなくて当たり前。

でも理解する努力や歩みより無くして世の中はうまく周らない。
それなのに、ひとはひとを認めないし、
くだらない物差しや感情で人としての良識を捻じ曲げる。
人を否定から入り、自分の責任を誰かに転嫁し、
臭いものには蓋をして問題を先送りして
誰かをトカゲの尻尾きりのように人身御供させる。

ほんとこの世の中、自分勝手な人たちがかなり多くて疲れる。

そんな器の小さなひとにはなりたくない。
だから、ときおり私は自分の小ささをこうやって認識させるんだ。

HARUHA
PR

伊丹から羽田経由で移動し社に戻る
迎えの車の車窓から見える景色はいつもと変わらない。
秘書のJとKは東京に入ると陽気で饒舌な一面を隠し、
沈黙してNoteやPDAを見ながら
時折私を伺うように見ていた。

新幹線が人身事故で遅延していたから仕方がない。
予定はイレギュラーに変わるものだし、
予め前日に飛行機に振り替えといたから
会議には間に合ったしね。

KとJが京都にすこしでも長く居たかったから仕方がない。
夏扇子や茶席で使う茶扇子を見て、
特注で頼んでおいた京団扇の阿以波や
唐長なんか見せたら、
日本の女性でも長く見たいだろうしね。

貴船神社に参った後、
床で飯を食ってから大原で温泉に入ったたのも
時間を押した原因だしね。
盛りだくさんにしてやろうと思うのは、
BOSSとして当然のこと。
Kは貧乏旅行のバックパッカーできて以来の
京都だと聴いていたしね。

着物なんて着たこともなかったらしいし。
2人に西陣の京古典の浴衣と帯を含む
一式をプレゼントしたら、
普段冷静なKが無邪気に喜んでくれて
良かったなくらいにしか思っていなかったのに
2人とも凹んでいる。
浮かれてイレギュラーな読みが出来なかったから。
BOSSに先回りされたのがショックだったらしい。
気にしていないんだけどね。

まぁ、東京に入り沈黙を決め込むのは
いつものことだけど。
私自身、東京は余り好きではない。
今回は特に。

4年前、色々あったのもあるけれど、
あれから代官山や代々木上原に
足を踏み入れることはなかった。
当時違約金を掻き集めるために
代々木上原のマンションは
カナダの友人の投資家に売ってしまった。
今は外資の役員に又貸ししていると聞いている。

代官山の知り合いの家にすこし住んでいたし、
嫌な記憶ばかりで出来事もつづいたから
もう二度と足を踏み入れることは無いと思っていたから
今後もそのつもりでいた。

懇意にしているクライアントの経営者が
主催のパーティーに出席するために、
会議の後、彼の自宅で行なわれるので
招待され行くことになっていたから。

JもKも私の過去や経緯を理解しているから
調整を掛けてくれたみたいだけど、
結局、本国の代表として
アジア地域担当の役員達といくことに。

仕事だから嫌など言ってられない。
まぁ、卒なくこなしたけれど、
趣向も料理も洗練されていないし
話題やビジネスモデルも他者の焼き直しで
世界標準でない。

それに今の作られた景気と株価に浮かれて
先を見据えていない日本人らしくて結構疲れた。
中国金融の崩壊も見えてきているのに、
連鎖する恐慌と光の裏にある闇を見据えていない。

BOSSからは本音トークは伏せておけということと、
使えなくて浮かれている上層部がいたらお前の権限で
切って良いといわれてるから、人間観察に徹していた。

上層部には苦言と襟を正すように
その後話しておいたけど、
首をそう簡単に切るつもりはない。

部下達に水面下で調査させ提出させた数字や
内部の情勢の資料に目を通しながら、
ヒアリングをして総合的にいらないと
判断した人材は切るけどね。
日本に限らず、内部監査の仕事を任されることはしばしば。
良いものでもない。
でも、必要な仕事。

そう、代官山もすこし変わっていたけど、
やっぱり開発の仕方や見せ方が一過性のもので面白くない。
物も食べ物も目新しくないし、ただ海外からもってきただけ。

原価率に対しての品質から見た人や使った人が
付けた付加価値を合わせてもどうなんだろうと
首を傾げてしまうし、
一時的な売上と利益は稼げるけど後に続かないだろう。

蔦屋は面白かったけど、梅田のほうが良い感じだね。
それと日本にいて時間が許せば
佐賀の図書館の事例を見てみたいな。
ビジネスモデルとしては面白いし、
改良を加えてC to Cと通販や音楽配信システムや
版権や著作権と融合させて自分独自の好きな本を
製本できたり、デジタル版権と音楽の著作権の
Mixなんかも面白いからね。

作家が本の中に登場させた食べ物や服、
音楽などを販促に繋げたり、
イメージを映像や動画と音楽を載せて配信させたり、
読者の感想やイメージとかとリアルタイムでSNSを通じて
融合すれば、販促も簡単だし結構面白いものが出来るだろうし、
本のQRコードを読めば買ってくれた人だけ
視聴できれば本やCDの購買意欲も増すだろうし、
落ち込み気味の業界の建て直しも出来るだろうしね。

図書館や企業には版権使用許可のライセンスを
試用期間分日割りで払ってもらい、
プロテクトコードを割り当て、期間が過ぎればDataが
消えればいいだけ出し、ライセンスビジネスも成り立つ。

4年前から代官山の駅や周辺も
経営していた会社のオフィスを構えていたビルのある品川も
大切だったひとに会うために色々手配した食事のお店も
日本に戻っても踏み入れたことは無かった。

人には伏せて置きたい記憶や思いもある。
彼らはそれを私の先輩に聞いているから、
いろいろ気を遣わせている。

以前、定宿にしていたCONRAD TOKYOや
The Ritz Carltonには絶対宿泊しないし、
代官山、渋谷、恵比寿、品川周辺や
入院して匙を投げた大学病院周辺は足を踏み入れない。
除籍され記録を消された大学にも寄付は止めた。

千葉や茨城や北関東、岐阜も含めて全て私にとっては鬼門。
和歌山も愛知も三重も一部を除いて足を踏み入れていないし、
北海道も好きだけど行かないようにして
いつも部下達に私の権限と裁量を委ね行かせている。
嫌いな人たちや関わりたくない人たちが沢山いるから。

まぁ、成田には移動しなきゃならないから
仕方が無いからはいるけど。

触れない、関わらないと決めたら
以後一斉立ち入らないのが潔さと思っているし、私の鉄則。

それだけ、嫌な記憶しかないから
思い出すと吐くし、眩暈もするし、腫瘍を取りきって
今は大丈夫なのにあの時の痛みを思い出すんだ。
だから、見せないようにごまかしてやってきたんだけど、
1年前、秘書のJに見られてしまってから、
Kとこの経緯を先輩に聴いてから調整してくれている。

嫌いなものや場所だらけになってしまった。
だから日本での仕事は制約だらけになる。

JやKが悪いわけではない。
私が弱いだけだ。
過去は受け入れてはいる。
ただ心無い人たちに振り回されるのも
関わらないのも自分を守るための危機管理の一つ。

彼女達には当面気を遣わせるだろう。
まぁ、それが秘書としての仕事だし、
わたしがBOSSである限り仕方がないことだろう。
まぁ、それ以上に気配りはしてるつもりだけど。

私のBOSSもそれは理解してくれている。

お前は優しすぎるし、ひとに気を遣いすぎる。
そこに漬け込んだり、
勘違いする人たちが多いのも事実。
自分が痛い目にあって、
立ち上がれないダメージを追っても、
お前は時間がたてば、その人たちを許す。
(今はそんなにお人よしではない。
許さないし、関わらない。)

まぁ、近頃は線引きは出来るようにはなってきたけれど、
でも、その慈悲と慈愛に溢れているところが
お前の良いところだと彼も彼の奥様も言ってくれている。

そう、理解してくれる人たちが
身近にいてくれるだけでわたしは助かっている。

すこし予定がずれて後1週間滞在することに。
福島や名取や石巻や気仙沼にはその後だな。
ケアハウスや子供病院の子供たちにはプレゼントを買ったし、
墓参りのためにひめゆり(関西ではささゆり)の花も押えたし、
急に顔をみせたら驚くだろうな。

嫌なことや伏せて置きたいことは沢山ある。
でも、遣らなきゃいけないことはまだまだある。
だから、今日を大切に生きている。

遣れないことを無理にすることはないし、
心無い理解できない人たちのために
何かをしなくてはとか思わなくていいこと、
慈愛や慈悲の心で分け隔てなく接しなくて良いと
理解してから楽になった。

ひともわたしも相容れないもの。
それで良い。
生理的に受け付けない人や人格的に問題がある人に
仕事以外で関わる必要性は無い。
気持ちを蔑ろにされて心を痛めるだけだから。

相互理解してくれる人たちを大切にすれば良いってね。

いま自分が出来る背いっぱいを遣るやるだけ。
ひとつひとつ地道に。

HARUHA

宇和島の結婚する友人からのスカイプ。
奥さんになるEさんと。
幸せそうだ。

式にでて旨い魚を食べてれば良いとお気楽モードに
構えていたし、思っていてたから。

彼らの口から出た不意打ちの一言で
すこし返事に戸惑って考え込んでしまった。

神前式で地元の神社で挙げることは聴いていたが、
まさか私が遣ることになるとは。

神社の宮司さんには了承を得ているとのこと。
連絡先を聴いてすぐに電話を掛けてお話したら、
本家から話があったとのこと。
仕事が早い(外堀を埋められていた。)

私の本家が神社や寺で、継ぐことになっていたから
明階や僧の資格を取らされ持っているのを
彼が知っていたからだ。
困ったものだ。

今は本家を手伝うことなんて帰国した時で、
すこし時間がある時くらい(帰省した時)と、
懇意にしていた檀家さんや氏子さんの葬儀を
どうしてもと指名で頼まれた時と、
震災地に赴いた時の法要をするときのみ
装束を身に着け執り行う。
仕事もあるし、するのは特別な時のみ。
わざわざ帰国もしなきゃならないし、
本業は金融屋さんだからね。

ハレの席は久々だし。


何より執り行う前に、
禊や祠に篭って断食して
穢れを落とさなければならない。
しかも2日間。
こんなにまじめにしている神主も坊さんも少なくなったと思う。
たぶん絶滅危惧種のたぐいだろう。

すこし多めに滞在するけれど、
仕事や予定で詰っているから、
体調のことで医師と相談して遣らないと。

歳を重ねてから出来た志を共有できる友人の
たっての要望だし応えてあげたいと思う。

飯を抜くのや滝行はいいけれど、
篭って不眠不休でトイレ以外、
護摩行をするのが大変なんだよね。
これは仏式だけど。

昔は良く出来たものだよ。

金融や俗世の垢が
そんなことで落ちるとは思ってはいない。
でも、心から幸せを祈り紡いであげたいから
今回は受けることにした。

動画や写真を撮って
彼のFace BookやInstagramや
彼らの会社のHPに載せたいというので、
載せないということで、請けることにした。
みんな写真とか動画とか好きなんだよね。

共有したり、されるってさ、SNSの繋がりって
顔見知りでも、知りあいでもない人まで増殖するから、
Followするのもされるのも面倒なので私は好まない。

秘書のJやBOSSやBOSSの奥様や
クライアントの友人達もめっちゃすきやからね。
撮ると俺が口を聴かなくなるから撮らない様になったけど。
海外の人にしてみれば珍しいんだろう。
本家の宮や寺にいくと、これ撮るの?思うところとか、
撮っちゃダメなとこ(禁足地や儀式儀礼)まで彼らは撮るしね。

今回は、秘書のJとKと先輩の後輩のWさんしかいないし
その辺はわかっているからしないと思うけど。
たぶん一枚くらい撮られるんだろう。

まさかとは思ったけれど、
友人とE子さんは本当に喜んでいたから
その顔を見ていたら別に良いかと思ってしまった。

式が終わったら首折れの岬さば(大分では関さば)と
岬鯵(大分では関鯵)と鯛の刺身をしこたま食ってやると
思ったけれど、断食明けでは無理なので、
茶漬けですこし食べよう。

友人が幸せになるって自分の事のように嬉しい。
子供もお腹の中にいて名付け親になって欲しいと
言われているから、2倍嬉しい。

自分の周りの関わった人たちが笑顔になり、
その小さな幸せの連鎖がやがて大きな波になり
その人たちの関わる人たちまで笑顔で溢れれば良い。
その思いは以前と変わっていない。

綺麗事かもしれないけれど、そう思っている。

HARUHA

ほとんど日本の曲は聴かないけど、
すこし疲れた時、流す音がある。
KOKIAの”たった1つの想い”と
槙原敬之の”僕の一番欲しかったもの”
ケツメイシの”花鳥風月”だ。

UKチャートやUSチャートで好きなのをいつもは聴く。
みんなそれぞれその気分に合った曲があるはず。

昨夜、ケアハウスの中3になる女の子と
スカイプで話した。

成績が落ちてしまって、
第一志望の高校にいけるか悩んでいる。
他の子たちは優秀で
県で一番や全国の有名な進学校に
合格しているのに、出来の悪さに引け目を感じている。

部活の男の子が気になって勉強がてにつかない。

今良く聴く曲のこと。
好きなアーティストのこと。

夢のこと。

色々出てくる。

彼女に話したことは、

恋愛をして人を好きになるということはいいこと。
手に付かなくなるような気持ちになるのは
遅いか早いかはあるけれど、誰にでもある。

俺だってあったし、
仕事も手に付かないことも。
それに勉強はそんなに出来なかった。
基本的に受験勉強が嫌いだったから、
好きな科目しか出来なかった。
理系なのに、物理化学はダメで
駿台全国模試で57~62くらい。
最終的に64~66くらい。
クラスでは下から数えたほうが早かった。

英語の偏差値が一番悪かったし、
高2に上がったばかりのテストでビリで、
しかも全国偏差はもちろん、
校内偏差はもっと目も当てられなくて
英語だけ補修をクラスで独りだけ受けていたからね。
それに得意だった数学でも確率統計が苦手でさ、
0点取ったこともある。

京大を落ちて、旧帝大の工学部卒の俺が、
アメリカではそこそこの
Cal(University of California Berkeley)や
Haas(CalのMBA)を出て今は海外で国を跨いで
普通に金融業界で仕事をしている。
英語もドイツ語もスペイン語もフランス語も話せる。

何があるかわかんないし、
苦手な分野から逃げなければ、
遣らなきゃならない時にすれば、
自ずと結果がついてくるものさ。

まぁ、波はある。
好き嫌いも、
勉強なんてなんでしなきゃならないのか?って
思うことも沢山あるし、
自分より成績が悪い奴が良い大学を出たり、
出なくても社会に出て成功することもある。

世の中はそんなものなんだ。

でも、自分の夢に近づくためには勉強はしないと。
医師になりたいのならば、
医学部に絶対入らなきゃならない。
すると、そこそこの母集団の高校に行ったほうが、
医師を目指す仲間も沢山いるし、
モチベーションもあがる。

それにFの場合、日本の医学部でなくて
海外のメディカルスクールを目指そうとしている。
だったら、一度、海外の理系学部をでたほうが近道だ。
社会にでて経験も積んだほうが良い。

その為には色々な山や谷を乗り越えないといけない。

今の不安定さは生きていれば、
どんなに歳を重ねようとでてくるもの。
その不安定さと向き合い、
楽しむことや乗り越えることで
経験値が増え、体性ができてくる。

そうやって不安を克服していくんだ。
それはケアハウスのFが優秀だと言っている子達も
同じように乗り越えていると思うよ。
相談も受けるしね。
誰にも言えなくて独りで抱えている悩みもあるだろうしね。

俺も、色々なことがあったし、今もある。
恋をして不安定なのも、夢に対して、周りに対して
今の自分と理想との距離はどうなんだろう?って
悩むことは正常なんだ。

でも、他人と比べる必要は無い。
DNAが違うし、個性も考え方も顔も違う。
それを認めることをしてしまえば、自分は自分で良い。
他人に何気ない優しさを分け隔てなく掛けられて、
迷惑さえ掛けなくて、協調すべきところでできれば、
なんの問題もない。

高校は、全国で合うとこに行けば良い。
無ければ世界に出れば良いだけ。
奨学生だからって良い高校や大学に行けば良いなんて
俺は思っていない。一浪したって寄り道したっていいし、
少々迷惑掛けたって良いんだよ。
良い子であろうなんて思わなくて良い。

俺やケアワーカーの先生達が親なんだから。
甘えるだけ甘えれば良い。

夢なんか日々変わるものだし、
高校や大学、働いてからも変わるものだからさ。

Fや他の子たちにも思うことは、
自分の生きる道や居場所を見つけて欲しいだけなんだ。
だからプレッシャーに感じることは無い。

すこし成績がさがろうが、
こつこつとしていれば結果はついてくるものだよ。
手が付かなくても少しづつすればいい。

というと、安心したのか、好きなこのこと。
好きな曲のことや歌詞のことを聴きながら話していた。

震災で両親や親戚一同を亡くした彼女が、
今を未来に繋げる為に一生懸命生きている。
大きな恋愛をしてやがて家族を作ったとしても
愛情を周りに分け隔てなく与え続けられるよう
育って欲しいものだ。

いつかケアハウスの子供たちがやがて巣立つ時のこと
時折、大人になって帰ってくることを考える。

私は彼らの本当の親にはなれない。
心の支えにすこしだけ成れれば良いと思っている。
でも、彼らは家族や子供を持ち本当の親になれる。
そんなときに、バランスよい愛情や感性で関わる人達と
接して生きていって欲しい。

世界標準で大きな視点と視野をもちつつ、
日本人として日本の文化やそれぞれのアイデンティティ、
よき伝統や風土、文化そして自然を、
自分の子供たちに繋げていけるような人としてね。

財団に出資や人を派遣してくれて懇意にしてる
クライアントの方達や友人達もみんなそれを願っている。

そんなことを、久しぶりに
槙原敬之の”僕が一番欲しかったもの”と
KOKIAの”たった1つだけの想い”
ケツメイシの”花鳥風月”を聴きながら考えてみた。

Fが薦めてくれた曲も聴いて見るかな。


HARUHA

Bossと奥様とその秘書と飯を食うのは久しぶり。
日本に一時帰国するから、その前に労いのために
直接会いにきたらしい。
出向しながら色々な案件を抱え双方の仕事を
こなすのは慣れているし、水面下に潜ることも。
国を跨いでの出張の日々も。

TV電話でよく話しているし、
役員会議でLondonに戻った時にBossとは
顔をあわせて話しているからいいのだけれど、
奥様が日本に戻ったら帰ってこなくなるのではと
心配しているらしいことが話していて理解できる。

他のPartner達からもそんな話をされることが多くなった。

他の投資銀行や世界最大の投資機構から
誘われているのも事実。
日本がだらしないから大手電機メーカーの
建て直しをはじめ、商社、メガバンク等の
海外戦略新規事業を統括する役員に
派遣される形で、利益の柱を新たに創り出し
その後日本人として初のPartnerにという条件で。

以前なら、志ということで受けていたかもしれないが、
金では動かないし、日本を立て直そうなどとは思わない。
既存の大手資本や箱を用いれば、
簡単に新しい仕組みや利益の搾取システムが
スムーズに出来る。
潤うのは一時的であり、
官僚や政治家や一部の経済界の利権を生み出すだけ。

やがて闇を生み、会計がざるになり、
飛ばしや付け替えや操作が行なわれる。
はじけて債権の処理や汚れ仕事をするのは俺達。

リーマン崩壊時のように売り抜けて
稼ぐのは巨大資本である外資。
外資である企業から日本企業に下りて仕事をしても
いつかは、幕引きをしなければいけなくなるから、
それで日本経済はまた一段と疲弊するだろうしね。

Partner達には、きちんと腹の中を全て話した。

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

日本は好きだけど、人はあまり好きではない。
ケアハウスの子供たち(震災遺児や孤児)と
スカイプで昨日はなしたんだけど、

”東京の人は小さな地震で
なんであんなに麻痺して騒ぐの?
自分達中心だよね?いつも。東京は偉いの?”

”政治家って票を貰ってなっているんだから、
地元にもっとお金や人や物を
持ってくるべきじゃないの?”

”オリンピックなんて要らないんだよ。
東北はまだまだ復興していないのに!”

”メディアはおかしいよ。
24時間TVや震災の起きた日に近くなると騒ぐのに
いつもはホッタラカシ。継続性の無い思いやりや
その場限りの投げぱなしの施しなんていらない。
僕達が自立して街を復興させるから。”

他にも色々なことを話した。

本当にメンドクサイ。

だから、日本の銀行や企業を相手にしないのもある。
どんな好条件を付けようが底が浅く、
自分達にその場限りの利益さえ落とせば
良いという考え方で、先を見据えない。
問題を先送りにばかりする。
政治家も官僚も財界も嫌いだ。
揉めて物事が前向きに進まない。
日本企業に属することはないだろう。

それに日本に帰るといつも思うんだ。
主要駅で降りると募金を募っているのに出くわす。

ボランティアなんてものは
自分の出来る範囲ですれば良い。
自分で金を稼ぎその中から、
永続して出来ることをする。
金が無ければ出来ないからね。
学生ならバイトして一部を毎月寄付すれば良い。
自分の腹を痛めない金なんて、ボランティアでないし、
余裕が無いならしなければ良い。

体1つ合っても、泊まるところも飯も食わなくちゃならないから。
気持ちや厚意が大切だという奴がいるけれど、
根本的にお金が何をするにしても掛かることを
念頭において発言したり、行動して欲しい。
奇麗事では世の中は回らないんだ。

寄付や善意の助けも大切だけど、
その人たちが独りで立ち上がることが一番大切で
ずっと援助が無ければ生きていけない状況をつくるのが
良いとも思わない。
だから、わたしはNPOは認めない。
税金だからね。
やるんなら、会社を大きくして利益の一部で
IPOした創業者利益でやれば良い。

メディアとかも自分が稼いだ広告収入や営業益から
永続的に寄付すればいいんと思っている。
そのために足元を見て良い番組作りをして
視聴率をあげ、副収入の新たな柱も作りつつ、
スポンサーを増やしていかないとダメだと思う。
批判や批評交じりの報道なんて誰でも出来るから。
具体性の無いものに人は共感もしないし、
なびかないよ。

窓口を設けて赤十字に寄付しても
道端で難病のため渡航が必要だと募金を集めても
その金がどう動いているかなんて追跡調査も
できないんだし、開示もしているところもすくない。

また、難病で治療後戻ってきてからも治療はつづくし、
金はいる。ずっと面倒見切れない。
それは親や国がすべきこと。

震災時、個人的に別口でFund時代のBOSSに預けていた
オプションを手放して3億強赤十字に寄付したり、
戻ってきた違約金の一部である4億強をあしなが財団に
寄付したけれど、どう使われたのかわからないから、
今は末端でどう使われたかわかるように
有志と一緒に財団を運営して寄付や投資するようになった。
まぁ、私の場合は外国人の投資家達や経営者達が多いけど。

東京は一極集中して自分達が中心。
でも地方から流入しているだけ。
便利で何でも金があれば揃うし、
浅いビジネスモデルでもそれなりのニーズがあるから
ビジネスも成り立つ、でも浮き沈みが激しく本物が出てきにくい。
2番煎じや3番煎じ。これも面白くない。

それに一過性の流れに流される。

すこし雪が降ったり、大きな地震や首都高や
公共交通機関で事故があればすぐ麻痺し混乱する。

50年前整備された日本全国のインフラ網は老朽化して
ガタがきているのに、目を背けてふたをしているし、
何もかもがメンドクサイ。
何で日本に期待もしていない国外にいる俺が
投資するかは、子供たちの未来に負の遺産を残さないため。
俺の親世代が作った負の連鎖を止めるためだ。

問題を先送りにして目の前の利益や5欲を享受し、
問題が起これば自分自身の問題ではなくて、
誰かの責任に摩り替えたり、転嫁する。

みんな自己中過ぎるんだよ。

4年前の震災の時となんら変わっちゃいない。

上辺だけの思いや志なんて要らないんだよ。
俺を”怒りをいつも抱えて、遣り切れない思いを
研ぎ澄まされた刃のように、
感情を抑えきれない荒々しい人”だと
言った人がいたけれど、
こんな世の中にどっぷり使っている
人たちのほうがどうなんだろう??
”まともな神経の持ち主ではないよ”

子供たちがおかしいとか間違っていると思わないように、
出来ないとあきらめる世の中にならないように、
当たり前のことを当たり前に言えるように、
遣れるように、未来を繋げるように、
一歩でも近づけるのが私の道だと考えている。

だからといって、
今、日本で働くことも、戻ることも、考えていない。
まだ、世界で遣ることが溢れているし、
投資したり寄付したり関わっている子供たちも
アフリカや中南米やインドなど多岐各国に渡っているから。

いつものんびりしてたり、
温和な時間を過ごすのがすきだけど、
以前より表に見せないが、
心の中では、憤りと葛藤を抱えている。
4年前、生きると決めて闘病と過酷なリハビリを乗り越えて
EU圏を拠点に働いているけれど、
まだ道の途中でなにも成し遂げてない。

ケアハウスの子供たちと週2で話していると、
まだまだだなって痛感するのだよ。

友人の結婚式で帰国したついでに顔を見に行こう。

震災時津波で亡くなった元彼女の墓参りもしないと。
7月は帰れないからさ。
彼女が好きだったカサブランカとあれば笹ゆりの花を
買っていこう。

友人達や部下達の墓参りもね。

金はあったほうが良い。
ほどほどに無ければ生活感が容姿や態度に
にじみ出てギスギスする。

地位や名誉など後から付いてくるもの。
そんなものはあっても飾りにしか過ぎない。

お金や名誉や地位に群がってくる人たちや関係は
無くなれば波のように引いていくもの。

そんな事を農家を遣っていた時気づかせてくれた。
金融で数字や金が全てだと思っていた生活に
疲れて、土に触れ生きることに喜びを感じ、
農家として生きていくと決め、
福島の元彼女の農家の全借金や債権を肩代わりして
通帳の残高を248円にしたあの日がなつかしい。

何度も無一文になった。
でも、教育や経験、仕事で磨いたキャリアは
わたしを裏切らなかった。

また稼ぐようになっても思いは変わらない。
日々の小さな出来事や人の温かみや何気ない厚意に
感謝できる自分で要ること。
その気持ちに対して気持ちで返せる自分で
いつづけたい。

その繋がりがやがて大きな波になるのなら。
私はその気持ちを繋ぎつづける。
偽善者と言われても気持ちは純粋に入っているから。
言いたいやつらには言わせておけば良い。

大儀が無ければ生きる意味など無い。
それを成さなければこれもまた意味は無い。
だからといって地位や名誉など求めてもいないし、
名を売ろうなど思ってもいない。

自分に胡坐をかかないためにも。
今できることをするだけ。
後どれくらい生きられるかわからないしね。
HARUHA

これからも大きな災害は起こるだろう。
そのときになって考えるのでなく、
いつも気持ちのやり取りで繋がること、
問題を先送りしないことを心がけておけば
どんなことが起こっても乗り越えられるさ。


PREV ←  HOME  → NEXT
プロフィール
HN:
HARUHA
性別:
男性
職業:
外資投資銀行 MD   外資政府中央銀行系Fund MD
趣味:
自転車 料理
自己紹介:
外資投資銀行から
外資中央銀行FM MDとして出向。
EU、US圏で活動中。

外資投資銀行、
政府系FUNDの寄付講座で、
院の学生を教えながら、
国を跨いでの出張と
仕事の毎日です。

守秘義務が多い職務上
Facebook、Instagramは公開しません。
予めご了承ください。
文章の引用、批評論評等
一切お断りします。

専門はM&A全般
Due diligence
企業の建て直し、解体。
人的資源の効率化。
知的財産(特許全般)の
債権化とライセンス契約
および特許訴訟全般。
P R
フリーエリア
Copyright (C) 2024 外資投資銀行に勤める親父の考えること All Rights Reserved.

Photo by (c)Tomo.Yun   TemplateDesign by kaie
忍者ブログ [PR]