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UK外資投資銀行から外資中央銀行 (Global Fund)のMD、FMとして 出向して日々国を跨いで出張を繰り返しながら 働くアラフォー親父の日々考える事
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女子校時代の友人と久しぶりの再会と旅行を楽しんでいた
WさんがUKに帰るために東京に戻ってきたので
秘書のJとKと一緒に彼女の実家で飯をご馳走になった。

その御礼に夏団扇と茶扇子と楽焼の茶碗と
Lucie Rieの器と花瓶を渡した。

楽焼は本家の蔵にあったもので、
私が昔集めたものの1つ。

Lucie Rieは、ある女性が好きで知ったもので、
すこしづつ収集するようになった。
以前からWさんは家に来ると熱心に触って見ながら
Lucie Rieの生い立ちや作品の成り立ちや
良さを熱く語るものだから
教えてくれた女性と被ってみえたのもあるし、
いろいろと私の知人や友人達や学生達も含めて
分け隔てなく愛情を持って気配りや配慮してくれて
助かっているし、その感謝として渡した。

お嬢らしくなく、家の援助を受けず、断って、
高校卒業後、留学して奨学金やローンを組み
院まで進み、US-Frankfurt-Madrid-Hong Kong-UKと
国を跨いで働いていても
まだ少しローンがのこっているらしい。
色々なアルバイトもしたらしいし、
多種多様な人種の中で
揉まれてきたから変な固定概念も無い。
どんな人に対しても分け隔てないことがWさんのよさ。
道で困っている人や子供も見過ごせないし、
それで財布やバックを取られたこともあるくらいだから、
時折、彼女の人のよさに救われている。

夏扇子と京扇子は彼女のご家族の分も。
楽焼の茶碗はお店で使ってもらうように言っておいた。
Lucie Rieの器と花瓶は丁寧に梱包して
空輸してもらうよう手続きをした。

ご家族も恐縮しながらすごく喜んでいたからよしとしよう。
彼女もお嬢さんだけど価値や手に入りにくいものと
理解しているし、私が大事にしてきたものだからと
断ってきたけど貰ってもらった。

もう数客Lucie Rieを持っている。
それは私が過酷な闘病生活から
奇跡的に話せたり、歩けるようになり、
復帰してビジネスの成功報酬の一部として
当時のBOSSにいただいたものが最初に手に入れたもの。
(あとで彼の奥様が私の持っていた作品集を見て
買ってくれたことがわかった。)

あれから気に入ったものが見つかると買うようになった。
良いお値段するものもあるけど、良いものは良い。
自分へのご褒美なんて良い仕立てのスーツや
鞄や靴、あとは食べ歩きか、誰かにプレゼントくらい。

時計も買うけれど、7桁(0が7つ)以上のものは買わない。
日本では新築のマンション買えてしまう額だからね。
まぁ、LondonやParisの市街地近郊だと
8桁(0が8つ)だしても都心部だと狭いものしか
買えないからな。

一番高いものでは自分の物で
今後倒れてもいいために
不労収入を得れるよう不動産くらい。
私が死んでも奨学金を永続的に出してあげたいしね。

後は財団と子供病院や
クライアントの福祉事業に寄付してしまうか、
個人的に昔の伝で迂回して足がつかないように
無担保で融資や投資するかどちらかだもんね。

だから、たまに良い器や家具や工芸品に出会うと
何回も足を運んで迷って算段する。
それが楽しいんだ。

その作家の人生や作品の背景~
色々なお店の店主の思いや何気ない会話などなど。
どんな国に行っても同じ事をしているからか、
仲良くなって良いものを教えてくれたり、
安く譲ってくれるNet-Workもできたし、
懇意にしている内外の作家さんの作品も
置いてくれて積極的に薦めてくれるようになり、
作家さんたちの安定した収入源になりつつある。

ときおり、Lucie Rieの存在を教えてくれた女性を
Lucie Rieの器を見ると思い出すんだ。

色々とあったけれど感謝している。
私が苦しい時を支えてくれていた
唯一無二の存在だったから。

真っ直ぐで、綺麗で、女性としては危なっかしくて
すこし経営者としては未熟で、
でも努力と熱い思いと暖かい心をいつも持っていた。

”わたしも遣るべきことがある。”
”あなたも遣るべきことをやって”
”もう会うことも二度とないだろうけれど楽しかった。”
それが最後のやり取りだった。
当時抗がん剤で浮腫んでぱんぱんだったから、
”整形しないでね”は少し傷ついたが、
彼女の思いや気持ちや私がしたことを考えれば
仕方が無いことだったから気にしないようにしている。

成功率6%も無かった手術を受け、
成功したにも関わらず一時は言葉も話せず、
文字も書けず、左足は麻痺して這うことしかできなかった。
化学療法と特殊な治験薬で昏睡状態に何度もなった。
そんな私が術後の経過観察をしながら
今生きているのは”やるべきことを遣る”と
4年前繋いだ命で残った人生を
世の中のためにささげる覚悟を決めたから。

末期で日本で手のつけられる病院や医師はいなかった。
余命があり治療の施しようが無いのならと
日本での治療も拒んだし、
当時経営していた会社を追われ、
9桁(0が9つ)の違約金を取られて何もなかったし
その後戻ってきた違約金も全て寄付したし、
お金も無い余命がある身で何も残っていなかった。

そんな状況で彼女と一緒になり
多くの苦難を背負わせることは、私には出来なかった。
彼女のご家族にも迷惑を掛けるし、
余計な気苦労や中小企業で資金面も運営面でも
苦しいのに、それで私が死んだら2重苦、
3重苦になるからね。

それに日本の治療で仮に生きられても
術後や治療後のケアが大変で
5体満足でない状況で介護も迷惑を掛ける。
そう、冷静に判断していた。
無駄に保険適用外の医療費は
湯水のように出ていくからね。

親父が白血病で亡くなったから、
その治療の介護でやつれていく母を見ていたし、
亡くなって3年はぽっかり穴が開いたようで大変だった
のを見ていて知っているからね。

そんな重荷を背負わせたくないと思うのは普通だろう。
現実に体験した家族や身内しかその痛みは
理解できないだろう。

彼女の夢は会社を大きくして
自分が生み出した化粧品を老若男女
多くの人に手にとってもらい綺麗になって貰うこと。
他にも夢や理想を電話口で熱く語っていたな。
財務や企画がかなり甘かったけれど、
すごく情熱的で彼女と話していたら楽しかった。

辞めて手伝うと言ったのは財務面と
マーケティングや営業面が弱かったのもあるけれど、
もう死期が迫っているのが自分でも理解できたから、
彼女の近くにいたかったのもある。
でも、そんなことは口が裂けても言えるはずも無かったし、
愛情や奇麗事で乗り切れる状態ではなかったしね。

苦渋の嘘をついた。元気な振りをしつづけた。
いつでも一緒にいたかったし、苦しいところを見せて
寄りかかりたかったそれが共に生きるということも
理解していた。
でも、痛みに七転八倒する姿や
自分が化学療法で醜くなる状況を見せたくなかったし、
彼女には夢を実現して欲しかったし、
笑顔を守りたかったし、幸せになって欲しかったから。
私の押し付けな解釈だったのかもしれないけれど。

Fund時代のBoss夫婦がチャーター機で
わざわざ日本まで迎えに来て、
”お前は意地を通しすぎる、何故頼らない?
生きていればまだ遣れることは沢山ある。
這い蹲ってでも、泥水を飲んでも生きてみろ!”と
あの時面倒見てくれなかったら、
今は土の中だっただろう。
8桁後半(0が8つ)の馬鹿高い治療費を
何も言わずに無償で出してくれたし、
経過観察や見舞い、復帰後や復帰できなくても
面倒見てくれると言って、そばにいてくれたし、
復帰後の大きなM&Aや少し難解なTOBの案件を
宛がってくれて活躍できる場所を用意してくれたから、
いま金融業界で生きていれる。

だから、自分の能力や人脈や志を
後世に繋げることしか考えていない。
ひとを育て、企業育て、地方や国を育て思いを繋ぐだけ。
人それぞれ考え方も生き方も変わるもの。

難しいけど遣らなきゃならないし、遣れることをやるだけ。

その女性にあげようと購入したものは大切に残してある。
もう渡す機会も会う機会もないだろうけれど、
私が生きる意味を忘れないために、自分に驕らないように。
Lucie Rieを見ると思い出すんだ~初心を。
私が10年~100年先を見据えられる人を育てようと
企業を創ろうとしていたあの日のことを。

”成せばなる 成さねば為らぬ何事も 
        為らぬは人の成さぬなりけり”

その思いは誰も知らない。

金があれば何でもできるでしょ?って言う人たちがいる。
99%金で解決できるのが正解だ。
でも人の心や気持ちや思いが入っていない金は
あぶく銭で何も生み出さない。

金を稼ぎ生活を営むということはそういうことだ。
泥臭くて人間くさくて、温かい心のやり取りが其処にある。
それが少なかろうと多かろうとね。
それで良いと思う。
懸命に毎日を生きるってそういうことだ。

それを忘れたら金に振り回されるようになる。
そんな人たちが世界中に溢れている。
私もそう言われたことがあるけど、
その人たちは私の事を理解していない。

金はただの潤滑油であって切り札ではない。
最後は人の志や気持ちのやり取りだから。
何度も0になって、マイナスになって
どん底を見てきたからわかる。
人の温かさと気持ちに救われてきたから理解している。

先に帰るWさんを成田まで見送って別れた。
分刻みの仕事をこなして東北に入り、
すぐにBrussels~am Mainにはいらないと。

EU圏の経済も刻々と変わる。
部下達と合流したらGreeceとItalyの案件で水面下に。
また国を跨いで名や役職を伏せてのLobbyingはいつものこと、
今それが求められるMissionだから。
そのあとはUS~NYとDCでの仕事になるだろう。
わたしが遣れることを遣るだけ。

そう言い聞かしながら今日も前を向く。
苦しくても笑顔を絶やさず、それが周りの力になるなら
わたしは笑顔をたやさない。

綺麗事でも貫く強さと潔さを持ち続けるんだ。
それが私が生きる意味だから。

HARUHA
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プロフィール
HN:
HARUHA
性別:
男性
職業:
外資投資銀行 MD   外資政府中央銀行系Fund MD
趣味:
自転車 料理
自己紹介:
外資投資銀行から
外資中央銀行FM MDとして出向。
EU、US圏で活動中。

外資投資銀行、
政府系FUNDの寄付講座で、
院の学生を教えながら、
国を跨いでの出張と
仕事の毎日です。

守秘義務が多い職務上
Facebook、Instagramは公開しません。
予めご了承ください。
文章の引用、批評論評等
一切お断りします。

専門はM&A全般
Due diligence
企業の建て直し、解体。
人的資源の効率化。
知的財産(特許全般)の
債権化とライセンス契約
および特許訴訟全般。
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